決死の特攻とは? わかりやすく解説

決死の特攻

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:16 UTC 版)

特別攻撃隊」の記事における「決死の特攻」の解説

日露戦争旅順閉塞隊 や、第一次世界大戦青島の戦いで、会前岬(灰泉角)砲台設置された24cmや15cmのドイツ軍要塞砲に対してモーリス・ファルマン水上機により飛行将校山本順平中尉体当たり志願するなど(実現せず)、特攻決死戦法思想古くからあったが、最高指揮官攻撃後の生還収容方策手段講じられる時の計画命令したものであり、1944年10月以降行われた特攻作戦とは本質的に異なる。 1934年昭和9年)、第二次ロンドン海軍軍縮会議予備交渉において日本側代表の一人山本五十六少将太平洋戦争時連合艦隊司令長官)は新聞記者対し「僕が海軍にいる間は、飛行機体当たり戦術断行する」「艦長が艦と運命共にするなら、飛行機同じだ」と語った1941年昭和16年12月真珠湾攻撃出撃した甲標的部隊が「特別攻撃隊」と命名され後日広く報道された。1941年11月11日第六艦隊において、首席参謀松村寛治中佐発案で、長官清水光美中将命名した清水によれば日露戦争のときは決死隊とか閉塞隊という名も使われたが、特殊潜航艇場合連合艦隊司令長官も慎重検討結果成功の算あり収容方策もまた講じ得ると認めて志願者熱意受け入れたのだからということで、決死等という言葉避け特別攻撃隊称することに決まった。」とのことであったその後甲標的による特別攻撃隊は、1942年4月に「第2次特別攻撃隊」が編成されオーストラリアシドニー湾マダガスカル島ディエゴ・スアレス港への攻撃が行われ、タンカー宿泊艦撃沈し戦艦ラミリーズ損傷させた。これらの出撃では生還者がいなかった。 1942年7月には、それまで潜水艦母艦とし港湾奇襲攻撃する作戦止め占領地局地防衛用として運用されることとなり、キスカ島に6隻の甲標的配備された。しかし、ガダルカナル島の戦いが始まると、アメリカ軍輸送船団攻撃するため、従来同様に潜水艦母艦とし敵泊地奇襲攻撃する目的で「第3次特別攻撃隊」が編成されアメリカ軍輸送船団攻撃し2隻の輸送船大破座礁させたが、戦局好転せず12月には作戦中止された。第3次特別攻撃隊は、今まで出撃とは異なり、8隻の甲標的出撃したが5隻が生還しこの後甲標的運用貴重な戦訓もたらした第3次特別攻撃隊後の特殊潜航艇は、ラバウルトラック島セブ島沖縄など重要拠点局地防衛のため地上基地配備されることとなり、「特別攻撃隊」の名前は使われなくなったが、後の特攻隊に名前は受け継がれた。

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決死の特攻

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特別攻撃隊」の記事における「決死の特攻」の解説

日本陸軍日露戦争において、白襷隊といった決死隊臨時編成したことはあったが、これは決し生還を期さない任務ではなく、ただ決死覚悟極めて困難で危険な任務を果たすというものであった第二次大戦末期組織的な特攻が始まる以前より、現場で自発的な自爆攻撃特攻)の必要性訴えられたり、あるいは実施した事例があった。1943年3月初旬ラバウル飛行第11戦隊の上登能弘准尉は、防弾装備整った大型B-17爆撃機弾丸を全弾命中させても撃墜できないため体当たり攻撃が必要、体当たり攻撃機を整備すべきと現地の上部隊司令部上申したが、陸軍中央へは届かなかった。5月上旬、同じ第11戦隊の小田忠夫軍曹マダン沖でB-17体当たりし戦死している。同年11月9日ビルマ方面重爆隊である飛行98戦隊第2中隊長西尾常三郎大尉は、機体に500kg爆弾装備して組織的な体当たり攻撃計画すべしと日記記している例もある。 1944年昭和19年4月14日アンダマン諸島へ向かう陸軍輸送船松川丸」を護衛中飛行26戦隊一式戦闘機「隼」(操縦石川清曹長)が、アメリカ海軍潜水艦発射した魚雷3本発見機銃掃射しつつ魚雷目掛け海面突入し戦死する爆破成功した同年5月27日ビアク島の戦いで来攻したアメリカ海軍艦隊対し飛行第5戦隊長高田勝重少佐下二式複戦「屠龍」4機は独断による自爆攻撃実施。「屠龍」4機は超低空飛行艦隊接近し、2機が撃墜され1機は被弾撤退するも、残る1機は上陸支援を行う第77任務部隊司令官ウィリアム・フェクテラー少将旗艦である駆逐艦サンプソン英語版)に接近被弾のためサンプソンへの突入わずかに逸れ付近駆潜艇SC-699に命中し損害与えた。また現地艦船攻撃際し爆弾投下前に被弾し生還望めない場合機上信管外し体当たりできるように改修するものもあった。同年後半ビルマ方面防空戦闘陸軍戦闘隊は、新鋭爆撃機として投入されていたB-29一式戦「隼」数次体当たり行っていた。これらの訴え飛行機への体当たりであり、一部破壊撃破)でも墜落する可能性があり生還する余地もあった。

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