決断所の職能
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/13 02:27 UTC 版)
雑訴決断所の職務内容は、所領相論の採決や地頭・御家人らの所領安堵、のちには天皇の綸旨の承認も行うようになり、建武政権の枢要機関としての地位を占めるようになった。 決断所の所轄事項や訴訟手続きについては『建武記』に規定があり、これによって雑訴決断所の発展過程を知ることができる。雑訴決断所の判決は牒や下文の形式で出された(ただしほとんどは牒であり、下文はわずかである)。現存する最古のものは元弘3年10月8日付河内国司宛のもの(『島田文書』)であり、建武2年12月10日付(『松浦山代文書』)に至るまで約130通が現存する。これらの文書は 所領相論の裁許(主として寺社権門領への濫妨の停止命令) 地頭御家人層への所領安堵 綸旨の施行 訴訟進行上の手続き(召還命令や論所点置・事情聴取など) に分類される。このうち雑訴決断所の基調となる機能は1と2であり、権限の拡大とともに3が加わった。建武政権成立前後から濫発された後醍醐天皇による綸旨は、公平性の上で問題があり、また相互に矛盾したり、無原則に与えられたにも関わらず、所領安堵には必ず綸旨を必要とするとしたことや「綸言汗の如し」と称された無謬性により、各地で混乱を起こしていた。そこで施行に決断所の牒を必要とすることでこれらの綸旨を整理し権威の降下を防ごうとした。これによって鎌倉幕府滅亡直後の応急措置として濫発されたことによって低下した綸旨の権威を回復させ、実効性を伴うものとした。また、雑訴決断所の一員に足利尊氏側近で室町幕府の執事(後の管領にあたる)を務めた高師直がいることも注目される。室町幕府の執事施行状(後の管領施行状)の初出とされる文書は、後醍醐天皇の綸旨の施行を求めるという体裁をもって師直の名で発したものであり、室町幕府が将軍の命令と同時に発した管領の施行状が雑訴決断所の牒の継承を想定して成立した文書である可能性を示すからである。
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