月曜 - 金曜版
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「NNNニュースプラス1」の記事における「月曜 - 金曜版」の解説
1988年4月4日、第1回放送。前年に巨人を引退した江川卓が出演した。また、日本テレビ開局35周年番組『チョモランマはそこにある』(1988年5月5日放送)に先駆け、チョモランマ(エベレスト)からの生中継も行われた。 1988年7月、読売テレビの2代目本社ビル移転を記念し、『大阪発プラス1』との共同企画として読売テレビのスタジオに徳光が赴き、同局の岡俊太郎キャスターと2人で番組を進行。関東ローカル枠でも一部を除き読売テレビと同内容で放送した。 1989年10月、徳光が日本テレビを退社。フリーアナウンサーの立場でメインキャスターを継続した。また翌11月には徳光がビロード革命に揺れるプラハの模様を現地リポートし、体操選手時代にファンだったというベラ・チャスラフスカにインタビューを行った。 1989年11月3日、広島カープのファンとして知られる久米宏が『ニュースステーション』(テレビ朝日)の企画「ジャイアンツエイド'89」で、読売ジャイアンツがこの年の日本シリーズを制した時の公約に従い、当番組へ生出演した。『おしゃれ』終了以来、約2年半ぶりの日テレ出演を果たした久米は「読売ジャイアンツ、バンザイ!」と叫び「悔しいですね」とボヤいた。さらにはフリーになったばかりの徳光に「頑張ってください」とエールも送った。そしてジャイアンツの選手陣の寄せ書きサインが書かれた帽子をプレゼントし、テレビ朝日に向かう久米を送った。この一件は翌日の朝のワイドショーでも話題として採り上げられただけではなく、ネット局が飛び降りる18時30分からのスポーツコーナーでの出演だったため、中京テレビ・読売テレビなど一部系列局もローカル枠の開始を遅らせてこの模様をネットした。 1990年4月2日、徳光が金曜の放送を降板し、週4日の出演となる。これは徳光のフリー転身から半年が経過し、他局番組(『クイズダービー』『徳光のTVコロンブス』)の司会が相次いで決まったことによる。金曜は土曜・日曜版のキャスターが平日版のフォーマットで伝える体制となった。 1991年10月1日、徳光の勇退に伴い、元NHKアナウンサーの相川浩と元テレビ岩手アナウンサーの桜田順子がメインキャスターに就任する。併せてオープニングCGも更新された。1992年10月にはオープニングテーマも変更。 1992年10月、相川がわずか1年で降板。ワイドショーのニュースコーナーを担当していた真山勇一がメインキャスターに就任。真山は前番組『NNNライブオンネットワーク』終了以来、4年半ぶりに夕方のニュースに再登板する。 1993年5月31日、『NNN昼のニュース』、『NNNニューススポット』、『NNNきょうの出来事』の各番組と共に展開した2か国語放送を廃止。CNNニュースなど外部からの2か国語ニュース等に人気などを取られたことが理由とされる。6月1日以降はモノラル放送で通していた。 1994年2月、桜田が降板。アナウンサーとして金曜・土曜・日曜版を担当した後、報道記者に転じていた木村優子がメインキャスターに就任。以後、真山・木村コンビが『プラス1』の顔として定着していくことになる。 1995年4月、18時台前半のネットスポンサーを廃止。 1995年4月20日から5月11日まで、木曜のみオウム真理教関連放送のため19:56まで延長放送。この間19時枠の『嗚呼!バラ色の珍生!!』は休止した。 1995年公開の映画『ガメラ 大怪獣空中決戦』では本番組が劇中劇として登場。ガメラやギャオス襲来を真山・木村両キャスターが伝えている。 1996年10月2日、17時30分開始に繰り上げ。全国ニュースも放送時間が繰り上がる。タイトルロゴ・オープニングテーマ・オープニングCGを全面的にリニューアル、ロゴと向日葵を用いたCGデザインはケネックジャパンが制作したもの。これは月曜 - 金曜は2000年9月まで、土曜は2002年9月まで使われた。 1999年4月、6時台前半のネットスポンサーを復活。 2000年10月2日、放送開始を17時に繰り上げ。この年にはプラスわんちゃんという番組のイメージキャラクターが登場し、2001年9月まで、このキャラクターは17時台オープニング映像にも登場していた。番組末期までは公式サイト内の「犬徒然草」のコーナーでもこのキャラクターを見ることができた。 2002年1月8日、リアルタイム字幕放送を全国ネットワーク放送時間帯に実施(土曜も同様)。 2002年9月27日、真山・木村コンビが揃って降板。その後、同月30日からは真山・木村の後任となるメインキャスターとしてアナウンス職から報道記者に転じていた笛吹雅子と同年3月までサブキャスターとして出演していた藤井貴彦が登板(藤井は実質半年ぶりの復帰)。同時にテーマ曲・スタジオセット・テロップデザインを大幅に刷新した。 2004年3月2日、汐留・日本テレビタワーに移転した事に伴いスタジオセットを変更、ハイビジョン制作となり東名阪エリアでは画面サイズが16:9になる。3月29日には本社屋移転によるイメージチェンジのため、オープニングCGと番組タイトルロゴを変更した(タイトルロゴに英字を使用)。それと同時に放送時間を17時25分に繰り下げ(2005年4月から金曜は再び17時に繰り上げ)。 2005年3月25日に藤井が降板。藤井はこれ以降、2010年春に『news every.』のメインキャスターに就任するまで夕方の時間帯から離れることとなる。同月28日からは後任として日本テレビ報道局記者の近野宏明が登板した。 2006年3月27日から3月31日(土曜の『プラス1サタデー』を含むと4月1日)までは、『プラス1』のスタジオではなく、報道フロアから放送された(『Newsリアルタイム』用にスタジオセットリニューアルのため)。 2006年3月31日の『プラス1』としての最後の放送は、プロ野球開幕戦中継との兼ね合いで16:30 - 17:45に時間繰り上げ・短縮の上放送された。番組終盤では当番組開始からの18年間を振り返るVTRが流れ、VTRの最後で「しかし、スタートして18年が過ぎたこの春、『ニュースプラス1』には重大な転換期が訪れました」というナレーションがあったところで一旦CM入り。その後、CM明けで『Newsリアルタイム』へのリニューアルを告知する宣伝スポットが放送されたのに続いて笛吹・近野がセット建て替え工事中のスタジオで『リアルタイム』へのリニューアルを改めてPR、笛吹が涙ながらに挨拶を行ってひとまず18年間の歴史に幕を閉じた。 なお、同年4月3日に放送された報道特別ドラマ『アース・クエイク 平成18年春・東京大震災』では、笛吹・近野が本人役で出演。本番組のスタジオセットが地震の激しい揺れによって損壊し、2人が壊れたセットの下敷きになる様が描かれた場面があった。
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