日本における「天下」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 10:16 UTC 版)
前述したように、日本(倭国)における「天下」概念の成立は古墳時代にさかのぼる。5世紀後期の作成とされる江田船山古墳出土の鉄剣銘に「治天下□□□□□大王」とあり、□□□□□の部分は「ワカタケル」と訓ずると推定されており、雄略天皇に比定されている。雄略は中国へ送った文書では「倭王武」と自称していたが、国内向けには治天下大王、すなわち中国とは異なる倭国独自の天下を治める大王、と称していた。このことは、当時既に「倭国は中国世界と異なる独自の天下なのだ」という観念が発生したことを如実に物語っている。以後の倭国王たちも治天下大王の称号を代々継承しているが、このことが背景となって、7世紀初頭に倭国王が隋皇帝への親書に「日出処天子」と自称した事件につながったと考えられている。 その後、8世紀初頭における律令制の移入と時を同じくして、中国風の天下概念が導入されることとなった。この場合の天下はどちらかといえば実際の律令国家の支配が及んだ範囲という意味で、今日の日本列島における本州・四国・九州などにあてはまると思われるが、決して律令国家の直接支配の及んだ地域という意味ではなく、蝦夷など直接支配に含まれない異民族も内包しており、陸奥国や出羽国など実効支配が出来ていない地域も支配地域として認識されていた。すなわち中国王朝の天下思想と同じように「天下」の中心に律令国家の中心を設定し、天皇を主宰者とした秩序の及ぶ範囲で、周囲には「夷」に対応する異民族が配されているという小中華主義的な色彩を強くしていた。この「天下」概念は律令国家の崩壊、王朝国家・中世国家の進展によって徐々に希薄化したと考えられている。 源頼朝は幕府の創立にあたり、「天下の草創」と称したと九条兼実の日記『玉葉』に見えている。この天下概念は上述の律令制における天下概念をふまえながらも、全く新しい国家・法制・秩序の場として創出されるものと観念されている。しかし頼朝がこのような意識をもっていようと、この時期の天下概念はいまだ現実の天皇の王朝支配を克服しきれておらず、天下の主宰者としては天皇(あるいは天皇家の家督者としての治天の君)が期待されている事例が多かった。鎌倉時代が終わった直後の建武期では、二条河原の落書で「天下一統メツラシヤ」と当時の建武の新政を表現していた他、足利尊氏が定めた建武式目では、北条義時が承久期に天下を「併呑」し、理想の世を築いたと記していた。義堂周信の日記『空華日用工夫集』によれば、足利義満は義堂との議論において、しばしば自身の政の対象として「天下」「天下之人」を問題としており、このことは室町時代のころには徐々に将軍こそが天下の主宰者であるという意識が生まれてきていたとも考えられている。ただし、義満については自身を「日本国王=治天」として位置づけているという研究もあり、後代に明確化される「天下人」概念に比べると、いまだに過渡期であったと見ることもできる。(治天の君、承久の乱、建武の新政、『神皇正統記』参照) 室町幕府の支配が衰えると、このような天下概念を支える公権力が衰え、自力救済を原則とする下克上の社会に移行した。やがてこのような実力主義社会から地方的な公権力として戦国大名が各地に大名領国を形成して独自の支配を及ぼし、限られた範囲内での「公儀」=公権力を形成した。日本列島の各地に形成されたこのような地域国家的な公儀を「天下の公儀」として形成しようとしたのが織豊政権の特徴である。 これに伴って、新しい秩序を主宰する主体としての統一者として「天下人」の概念が登場し、この頃には「天下」は天皇王権を擁する室町将軍が管轄する京都と畿内や近国など周辺の地域を意味していた(畿内・近国の戦国時代を参照)。また室町将軍は「天下」領域を支配する地域領主としての役割と、戦国大名などの地方勢力の紛争などを調停する役割を担った。 各地に成立した戦国大名家の中で、尾張国の織田信長は将軍足利義昭を擁し、間接的に天下人としての役割を担い、「天下一統」(この用語自体は南北朝時代から散見される)を実施した。信長は元亀4年(1573年)に将軍義昭を追放した後も天下人としての地位を継承し、信長の統一政策により「天下」の地理概念はかなり明確化され、信長死後に天下人としての地位を継承した豊臣秀吉により統一事業は完成され、「天下」領域はほぼ今日の日本列島と変わらない領域として認識されるようになった。(戦国時代 (日本)参照) 江戸幕府は「天下人=将軍」、「天下の公儀=幕府法」と位置づけ、そのもとに「地方的な公儀=藩法」として大きく二元的な法社会を形成した。このようにして成立した幕藩制国家は、対外関係を華夷秩序に擬制して編成し、具体的には海禁政策(鎖国)をとった。このことは日本における「天下」概念をますます固有の地理概念である日本列島に近づけたと考えられる。
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