日本における「大唐米」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 15:59 UTC 版)
日本では、大唐米(だいとうまい)、太米(たいまい)・秈(とうぼし)などとも呼ばれている。遅くても鎌倉時代までには日本に伝えられた。収穫量は多く落穂しやすく脱穀が楽な反面、強風や長雨で傷みやすく、粘り気も少なくて味も淡白であった。 それでも室町時代には降水量の少ない瀬戸内海沿岸をはじめとして西国を中心に広まり、農家の生活水準の上昇につながった。その一方で、領主や消費者である都市民には評価は高くなく、領主の中には大唐米による納付の場合の納税額を他の納付方法よりも引き上げたりすることもあった。江戸時代には「赤米」と呼ばれて下等品扱いされ、小野蘭山『重修本草綱目啓蒙』では「最下品ニシテ賎民ノ食ナリ」と評された。 海岸に自生するベンケイソウ科マンネングサ属のタイトゴメ(Sedum uniflorum ssp. oryzifolium)は、細かい葉が大唐米に似ていることから命名された。 この項目は、中国の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:中国/P:歴史/P:歴史学/PJ中国史)。 この項目は、農業に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキプロジェクト 農業/Portal:農業)。
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