日本における「外国」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/08 14:26 UTC 版)
古代・中世における当時の支配階層である貴族社会においては、大和王権(朝廷)の支配が直接及んできた畿内及び近江国などその近隣地域のみが「日本国」(本朝・神国)であり、大和王権によって征服されてその従属下に服した地域である東国及び西国は日本国とは見なされず、更にその外側にある異国・夷国と同様に「外国」と見なされて、大和王権に対して穢れや災厄をもたらす地であると信じられていた。京都の公家が東国の武士(鎌倉幕府など)を「外国之武士」と呼称していた事は、慈円の願文の中に記されている。 江戸時代、「おくに」と言うと、出身の地域、日本(列島)の中での場所を指していて、「異国」と言うと、国境(くにざかい)の外、他の藩が治めている領域を指した。たとえば会津の人々から見れば、長州や薩摩の人々は「異国」の人々だったわけである。当時は「くにざかい」には関所が設けられ、くにざかいを越えることはさほど容易なことではなかったので、それぞれの「おくに」では独特の「おくにがら」が発達したとされている。それが現在の県民性にもつながっている、とされている。 現在、日本の法令においては包括的に「外国」を定義せず、個別法 により「外国」を定義している。各法の目的によって定義は異なるが、「本州、北海道、四国、九州および主務省令で定めるこれらに附属する島以外の地域」を指すことが多い。また、旅券法のように「外国」を定義しないこともある。日本は「島国」で「海で囲まれている」ので、「海外」という漢字表現も「外国」の類義語・同義語として用いられる。 「集団主義の傾向があると言われている日本の社会では、「内」の対義語である「外」の概念が根強く残っている」と言われることがある。また、沖縄の人々は、自分たちを「うちなーんちゅ」(うちなんちゅ)と呼び、本州側の人々を「やまとんちゅ」と呼ぶ。一方、北海道の住民は、日本の本州側のことを「内地(ないち)」と呼ぶ。
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