日本における「人間工学」の発展
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「人間工学」の記事における「日本における「人間工学」の発展」の解説
日本における「人間工学」は、基本的にはアメリカの「人間工学」の影響を強く受けているとはいえ、先達が諸外国のさまざまな知識を融合して構成したものである。そのひとり坪内和夫は、その著『人間工学』(日刊工業新聞社, 1961)の中で、日本の人間工学の母体となった動きを6つ指摘している。(1)実験心理学、(2)医学および生理学、(3)広義の作業研究、(4)環境工学、(5)制御工学、(6)インダストリアル・デザイン、がそれである。今日の人間工学にもっともおおきな影響を及ぼしているのは、(3)の系譜を織り込むかたちで生成したインダストリアル・エンジニアリング (industrial engineering; IE) であり、また、歴史的な視点からみれば、(6)はIEの延長線上に生まれたものである。こうした事情のゆえに、今日、日本ではIEの代替語として「人間工学」の語が用いられている。米国の代表的な作品サルヴェンディのIEハンドブック(2001年版)と日本の『人間工学ハンドブック』を見比べると、取りあげられている項目も内容も大幅に重なっている。 これら2つの研究分野が日本で融合し、「人間工学」という名前が付けられた。「人間工学」の言葉自体は、1922年に田中寛一が書籍の題名として使用し、疲労と能率に関する実験的研究結果に関する内容を述べた。1956年に、現在の意味での「人間工学」として、ウエズレイ・E・ウドソンの翻訳書が発刊された。日本人によって最初にまとめられた人間工学の書籍は、倉田正一が1959年に発刊したものである。 1964年12月1日には、日本人間工学会の発会式が早稲田大学でおこなわれ、人間工学に関する研究成果を持ち寄る場が構築された。
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