日本における「反知性主義」
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「反知性主義」の記事における「日本における「反知性主義」」の解説
1961年9月に来日したデイヴィッド・リースマンは「アメリカで悪夢のように横溢している『反』知性主義が日本にはみられないことに驚く」と論評した。 全共闘世代について、小池真理子は「はじめは教養主義的だったのに、大学の教師を敵視するという姿勢もどんどんエスカレートしました。最後には反知性主義、反教養主義にまで発展してしまいました。」と述べた。竹内洋は「それまでなら両親が大学を出ていなくて、田舎から都会の大学に出てきたりすれば、一応、アッパー・ミドル的なカルチャーを学ぼうとして教養主義的になっていったんですが、全共闘世代は、そうした教養主義的なものに対する対抗意識もあって、反知識人、反知性主義みたいに居直った。」と述べた。 1969年5月13日に東京大学で約千人の聴衆を相手に行われた討論で、三島由紀夫は「全学連の諸君がやったことも、全部は肯定しないけれども、ある日本の大正教養主義からきた知識人の自惚れをいうものの鼻を叩き割ったという功績は絶対に認めます。私はそういう反知性主義というものが実際知性の極致からくるものであるか、あるいは一番低い知性からくるものであるか、この辺がまだよくわからない。もし丸山真男先生がみずから肌ぬきになって反知性主義を唱えれば、これは世間を納得させるんでしょうけれども、丸山先生はいつまでたっても知性主義の立場に立っていらっしゃるので、なぐられちゃった。」と述べた。 森本あんりによると、日本では知性に対する尊重があまりなく、イデオロギーと結びつく知性よりも実用的な知識や実学が重視されてきたので、そもそも知性主義が確立せず、それに対する反発もはっきりと出てこなかったのではないかと指摘している。 竹内洋は「明治以来、いや江戸時代に遡っても、日本にはあからさまな反知性主義の噴出はみられなかったといえる。反知性主義はあったにしても、知性主義と反知性主義をそれぞれタテマエとホンネとして処理し、二つの文化の衝突を避けてきた。」「強力な反知性主義がないことで、知性主義も錬磨されることがなかった」ため、「日本における知性主義は「反」ならぬ「半」知性主義といったものではなかったのか。その意味では、橋下氏の反知性主義的発言を奇貨とすべきところはある。」「あからさまな反知性主義というよりは疑似知性主義とポピュリズムが手を携えあっているのだ。」「われわれは、ゆるい知性もどきのなかで、知性の意味を考えることなく『半』知性主義から『脱』知性主義へと緩慢な知性の死に向かっていないだろうか。」「橋下徹大阪市長の『学者は世間知らず』『本を読んだって何もにも進みません』という臆面なき反知性主義的発言が新鮮な反面教師のようにおもえてさえくる。知性とはなにか、その意味を考える砥石になるからである。」と述べた。 島田雅彦は「日本においても、反知性主義はインテリを毛嫌いし、『文句はかりいって、自分では何もしない奴ら』と蔑む風潮として現れる。反知性主義の背景には、歪んだエリート意識が見え隠れする。政治も経済も科学技術もごく一部の選ばれた人材が能力を発揮していれば、それで支えられるのだから、その他大勢の凡庸な人間は彼らが作った制度やシステムに従っていればいいという考え方だ。」と述べた。
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