日本における「マーフィーの法則」の流行
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「マーフィーの法則」の記事における「日本における「マーフィーの法則」の流行」の解説
日本では1970年代前半の石油ショックの頃に(後の1990年代の流行と比較して)小規模な流行があった。当時はイギリス式に「Sod's law」(ショウガナイの法則)とも呼ばれた。また、1981年の時点で『生きるにも技術がいる-人生工学の発想』にて紹介されていた例があり、1988年には『コンピュータ大辞林』で紹介されているなど、技術者など一部で知られていた。 遠藤諭は、編集長に就任した雑誌『月刊アスキー』誌で、ペンネームのホーテンス・S・エンドウ名で執筆する連載記事「近代プログラマの夕」における「マーフィーの法則の起源をめぐって」(1990年7月号)など、精力的に紹介した。1993年7月には、"The Complete Murphy's Law" の訳本『マーフィーの法則』を出版する。同書のベストセラー化で、一般にも広く知られるようになり、家庭や学校や職場や地域でも「〜の法則」遊びが流行した。なお、「〜の法則」というタイトルの本としては、藤井青銅による『み〜んながやってる宇宙の法則』が1991年1月、『宇宙の法則2 3Dステレオコラム集』が1993年6月に出ており、ブームの源はひとつではない。 1994年2月2日には嘉門達夫がシングル『マーフィーの法則』を発売。その後、同年6月1日にシングル『続・マーフィーの法則』、1995年1月1日発売のアルバム「娯楽の殿堂」に『究極のマーフィーの法則』が収録、2000年8月23日にマキシシングル『ミレニアムの法則』、2003年4月23日発売のアルバム「達人伝説」には『マーフィーの法則2003』が収録されている。 1990年代の日本での流行当時は、各々未曾有の政治的・経済的転換点に見舞われ、そこからの先行きが不透明な情況であった。しかし、昨今の『サラリーマン川柳』のように客観視し笑い飛ばしている面や、畑村洋太郎の提唱・リードする「失敗知識データベース」「失敗学会」のように逆手に取って活用している側面もあった。同様な観点からの批判として、桔梗清は著書で「力動精神医学としての誘導自己暗示(療法)」を紹介している。 また、深層心理学の世界では、「法則11 = 挨拶をトチリそうだと思っている人は本当にトチる」のように、人は自己暗示などによって思わぬ行動に出てしまうことがあることを多湖輝は指摘しており、青木智子もユングの「トリックスター理論」から分析を試みている。 そのほか、エリック・バーンらの交流分析やウェイン・クリッツバーグ等のアダルトチルドレンの役割類型である「クラウン(道化師)」「マスコット(なだめ役)」「ファミリーペット(甘えっ子)」等の観点から解釈している杉田峰康のグループ、さらには確率論や認知科学(ヒューリスティックス発見的方法や共変関係認知論など)から説明している増田真也等もいる。
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