日本における「所有と経営の分離」とその変質
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/20 03:29 UTC 版)
「所有と経営の分離」の記事における「日本における「所有と経営の分離」とその変質」の解説
以上は、主にアメリカにおける状況であるが、日本における相違点と共通点は以下のとおりである。 まず、第二次世界大戦前においては、主要産業は財閥を中心に資本が形成されており、おおよそ「所有と経営の一致」が見られたと言える。 終戦後に実施された財閥解体以降は、資本供給は国民の高い貯蓄性向を背景とした「間接金融」に依るようになり、企業のガバナンスは、メインバンク制に見られるように、銀行に担われるようになり、高度成長期の終焉に至るまで、この傾向が続く。また、主要な株主は、「株式持ち合い」による企業株主(機関投資家ではないことに注意)であり、株主としてのガバナンスも、多くはメイン・バンク又は企業グループにおける主導的企業が、企業グループのコンセンサスを得ながら進められていた。この状況において、一般の株主は株式市場における価格の騰落のみに関心を持ち、経営に関心を持たない消極的な存在であり、日本的な「所有と経営の分離」が形成されていた。 高度成長期の終焉を迎える一方で、家計に余剰資金が見られるようになるなどの状況から、金融構造が間接金融から直接金融にシフトする傾向の中で、日本においても「所有と経営の分離」に変質が生ずる。1970年代に入り実施された商法改正によって時価発行増資が認められるようになり、企業は資金の市場調達を顕著にしていくが、それにさらに拍車をかけたのが1990年代の資本の国際化を通じた海外機関投資家が進出である。また、バブル崩壊に伴い、旧来のメインバンク制の解体が見られ、株式市場改革においても、多様な資金調達・株主還元が可能となる法律改正が行なわれた。このような事情において、1990年代後半頃から、米国と同様の様相を呈してきており、やはり単純に「所有と経営の分離」の進行と言うことはできない状況となっている。
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