批評・研究史とは? わかりやすく解説

批評・研究史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 17:53 UTC 版)

アルフレッド・ヒッチコック」の記事における「批評・研究史」の解説

映画デビューしてから長い間ヒッチコックイギリスアメリカ英語圏ある程度商業的成功収めていたにもかかわらず大方の映画批評家からは器用なエンターテインメント作品作る職人的な監督と見なされ、ストーリーテリングテクニック評価されても、それ以上芸術性を持つ映画作家として正当に評価されてこなかった。とくに1930年代にかけてのイギリスでは、知識人たちが映画芸術ではなく下層階級向けの娯楽見なし軽蔑し映画批評家たちもドイツソ連芸術映画賞賛する一方でハリウッドなどの娯楽映画軽視する傾向があったため、その状況下で娯楽映画作り続けたヒッチコックはジョン・グリアソン(英語版)などの見識ある映画人批評家から「独創性欠いている」「うぬぼれている」などと批判された。例えば、1936年にアーサー・ヴェッセロは、ヒッチコックのことを「すぐれた職人」と呼び視覚的なテクニック評価しながらも、「ヒッチコック映画全体として見た場合知的な内容乏しいためにまとまりがないと感じざるをえず、それゆえ失望つきまとう」と述べたアメリカ時代移ってからの約10年間も真剣な批評研究の対象になることは少なく英語圏映画批評アメリカ時代よりもイギリス時代作品を好む風潮支配的となり、1944年ジェームズ・エイジーヒッチコックの「凋落」が批評家の間で囁かれているとさえ述べた。 そんなヒッチコック評価大きく変化したのは、1951年創刊されフランスの映画誌『カイエ・デュ・シネマ』(以下、カイエ誌と表記)の若手映画批評家であるエリック・ロメールクロード・シャブロルフランソワ・トリュフォージャン=リュック・ゴダールなどが、ヒッチコック擁護または顕揚する批評書き始めてからのことである。彼らは作家主義呼ばれる批評方針打ち出しヒッチコック独自の演出スタイルや一貫した主題を持つ「映画作家(auteur)」として、同じく娯楽映画職人監督と見なされていたハワード・ホークスとともに高く評価し、「ヒッチコックホークス主義」を自称して盛んにヒッチコック論を掲載した。これをきっかけフランスではカイエ誌の批評家中心とするヒッチコック支持者とその批判者との間で、芸術家としてヒッチコック評価をめぐる大きな論争起きた1954年カイエ誌はヒッチコック特集号を組みトリュフォーシャブロルアンドレ・バザンによるヒッチコックへの取材記事などを掲載した1957年にはロメールシャブロル共著世界初ヒッチコック研究書ヒッチコック』を刊行しこれまでカイエ誌の批評家によって盛んに論じられていた、秘密告白堕罪救済などのカトリック的なヒッチコック作品の主題真っ向から分析したロメールシャブロルはこの本の掉尾で、ヒッチコックを「全映画史の中で最も偉大な形式発明者一人である。おそらくムルナウエイゼンシュテインだけが、この点に関して彼との比較耐える。(中略)ここでは、形式内容を飾るのではない。形式内容創造するのだ。ヒッチコックのすべてがこの定式集約される」と評した。この本はヒッチコック批評研究の対象として本格的に取り上げられる大きなきっかけとなったカイエ誌の批評家ヒッチコック称揚し以来映画批評家の間ではヒッチコック仕事評価しようとする動き広まった1960年代から英語圏でも、作家主義影響受けた映画批評家中心に映画作家としてヒッチコックをめぐる批評進展したイギリスでは、1965年ロビン・ウッド英語版)が同国で初のヒッチコック研究書『Hitchcock’s Films』を刊行したウッドヒッチコックをめぐる批評的議論英語圏普及するのに重要な貢献果たしたが、ゲイ・レズビアン映画批評先駆者でもあるウッドは、その観点からのヒッチコック作品の分析でも先鞭をつけた。アメリカでは1962年ニューヨーク近代美術館MoMA)で行われたヒッチコック回顧上映合わせて刊行されモノグラフ著者であるピーター・ボグダノヴィッチや、長年にわたりヒッチコック支持したアンドリュー・サリスなどが、いち早くヒッチコック作家性を高く評価した批評家として知られるこうしたヒッチコック批評研究世界的な進展後押ししたのが、1966年英仏2か国語同時刊行されトリュフォーによるヒッチコックへのインタビュー集成『Le Cinéma selon Alfred Hitchcock』(英語版は『Hitchcock/Truffaut』、邦訳は『映画術 ヒッチコック/トリュフォー』のタイトル1981年初版刊行)である。この本はヒッチコック63歳誕生日にあたる1962年8月13日から8日間にわたり、ユニバーサル・ピクチャーズスタジオで50時間かけて行われたインタビュー書籍化したもので、当時までに作られヒッチコック作品演出技法などを1本ずつ詳細に検証している。この本はヒッチコック研究におけるバイブルとなり、映画作家としてヒッチコック評価の確立最大貢献果たしただけでなく、今日まで「映画教科書」と見なされる名著として知られている。 以後ヒッチコックをめぐる学問的議論研究活発になり、社会政治批評構造主義精神分析学フェミニズム映画史研究など、さまざまな立場から多様かつ緻密な研究が行われるようになったフェミニスト映画理論立場では、1975年にローラ・マルヴィがその先駆的論文視覚的快楽物語映画』でヒッチコック作品議論中心に取り上げそれ以来ヒッチコック作品理論定式とその映画批評実践において常に中心的な対象であり続けた精神分析学立場では、1988年哲学者スラヴォイ・ジジェクジャック・ラカン精神分析学基盤ヒッチコック作品分析した研究書刊行したヒッチコック死後数十年が経過してからも、その作品現代学者批評家の間で大きな関心呼び伝記作家のジーン・アデアは「今日でもヒッチコックは、おそらく映画史の中で最も研究され監督である」と述べている。ヒッチコック作品さまざまな視点から分析するエッセイや本は市場にたくさん出回っており、マクギリガンも「ヒッチコックは他のどの映画監督よりも多くの本が書かれている」と述べている。

※この「批評・研究史」の解説は、「アルフレッド・ヒッチコック」の解説の一部です。
「批評・研究史」を含む「アルフレッド・ヒッチコック」の記事については、「アルフレッド・ヒッチコック」の概要を参照ください。

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