作品の分析
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 14:48 UTC 版)
この作品が世に出たとき、2個の独立した物語が1章ごとに交替で並んでいたために、読者も批評家も様様な憶測をしたが、結局はこのような構成をとった理由が分からなかった。フォークナー自身がそれに対して次のように答えている。 「 いや、あれは1つの作品なのです。-あれは恋のためにすべてを振り捨て、しかもそれを失うシャーロットとウィルボーンの物語なのです。あの作品を書き始めたときは、まさかこれが2つの話を持つものになるとは思わなかったのです。ところが、現在の形で『野生の棕櫚』の第1章になっている部分を書き終えた時、どうも何かが欠けていると気づいたのです。なにか、作曲で言えば対位法のように、なにかこれを高めるものが必要だと感じました。そこで「オールド・マン」を書いてゆきますと、再び「野生の棕櫚」が浮かんできました。そこで「オールド・マン」を現在の第2章のところで横に置き、また前の物語に戻りました。この恋愛の話がまた萎んでゆくと、次に再び、囚人の話にうつり、愛を手に入れたのにそれから逃げ出そうとする囚人の話を書いていったのです。...このようにして2つの話は偶然に、というよりも必要性から、並ぶ形になっただけです。あの作品はシャーロットとウィルボーンの物語なのです。(橋本訳、解説加島祥造, p. 901-902) 」 さらにハリーとシャーロットの世界に欠けているものとは何かという点について、フォークナーは次のように説明している。 「 ハリーとシャーロットは恋愛を達成するために2人だけの世界をつくろうと努力し、危険を冒し、すべてを犠牲にするが、この囚人のほうはそういう愛の世界へ、自分で求めもせぬのに、押しやられる。彼が自分の救った女とともにいるボートの生活は、ハリーとシャーロットが何物にもかえても欲しいと願った境地なのです。彼らの物語に欠けているものを埋め合わせるものとは、そういう意味だったのです。(橋本訳、解説加島祥造, p. 901-902) 」 ただし『オールド・マン』の叙述の中にはフォークナーの語るような恋愛を直接表現するものはほとんど見られず、全ては読者に想像させる形になっている。 フォークナーはこの作品の後、1940年出版の『村』から、以前に比べてずっと平易な手法と文体で語っていくようになった。 この作品の影響を受けたアルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスは、スペイン語への完訳を行い、1940年にLas palmeras salvajesを出版した。それが多くのラテンアメリカ小説家にも影響を与えることになった。
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