建築とランドスケープ
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建築においては、過去の装飾を用いた様式建築を否定するウィーン分離派、デ・スティル、バウハウスなどの動向から、やがて合理的、機能的な建築を理想と考える近代建築運動が起こった。ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエ、フランク・ロイド・ライトが世界近代建築の3巨匠とされ、日本では前川國男やその弟子である丹下健三らが代表的な建築家として挙げられる(モダニズム建築)。 一方でランドスケープの近代は、ゆっくりと姿を現しつつ出現する。その要因こそ、ランドスケープが植物という生物相手の造形領域であることと深くかかわっている。第一に植物は成長に時間を要し、第二に植栽は設計よりもその維持管理で形態を決めるからである。まさにランドスケープの歴史は、いつの時代も植物の歴史そのものである。 20世紀を通じて世界中で最も好まれたランドスケープは、いわゆる「自然風景式庭園様式」である。この根強い人気は何ゆえ人気なのかという最大の理由は、建築からの外的圧力、正面性や記号性を否定した近代建築にとって、控えめな「地」を演じてくれる自然風植栽が好都合だったのであり、ランドスケープは、フレッチャー・スティールが自著(F. Steele (1930): New Pioneering in Garden Desi Landscape Architecture、October.)で述べた「木が木でありつづけた。ゆえにランドスケープは近代化されえなかった」のではなく、「自然風であること」を強要されたゆえに近代を実現できずにいたと結論されている。 ところが広域計画が植生分布から読み替えられ、空間造形言語も新しい構成を獲得していた。植生からその形態言語が劇的に見直されたのがむしろランドスケープ・プランニング論においてであった。イアン・マクハーグの「デザイン・ウィズ・ネイチャー」においてである。その手法はじつに科学的、近代的であり、その表象は生態的であった。生物の生息形態を物差しとして土地利用をとらえようとする科学的思考法を、宇宙衛星観測と電算処理という当時の先端技術をもってひとつの手法にした点で、「デザイン・ウィズ・ネイチャー」は時代を画した。科学的データから浮かび上がる植生分布の有機的形態は、軸と幾何学で組み立てられた都市計画を一気に過去のものとしてしまう説得力をもち、都市計画法を根本的に見直す視点を与えたのである。 じつは植物生態分布に沿う都市の再編は、近代ランドスケープの祖、フレデリック・ロー・オルムステッドにより20世紀初頭にすでに行われている。たとえばボストンの「エメラルドネックレス」である。それは、ボストン郊外を人為的形態ではなく水系にそった植生の連続で規定しようとしたもので、衛生や福祉といった社会問題の解決だけでなく、その有機的形態をパークウェイという交通システムに翻訳するという離れ業でもあった。都市に緑をという一元的発想ではなく、近代の問題を複合的に解く植生提案だったのである。 広域計画がこのように植生生態域から見直されるという展開を遂げていた一方、空間デザイン領域での植栽は新しい言語たりえるようダン・カイリーたち先駆者らが1940年代頃から積極的に新しい庭園構成を試みる。そのほとんどが、近代建築が打ち立てた空間様式を、列植、ボスクなどの植栽言語を用いて実現することであったといっても過言ではないが、その集大成が1955年のミラーハウス庭園である。そして建築平面様式の読み替えも、それが植栽特有の光と影のパターンとなって立ち現れたとき、新しい庭のあり方を人々に予感させずにはおかなかった。なぜなら、列植は列柱とは異なり、生垣は壁体とは異なる。季節に応じて葉量を変える落葉樹はその透明性を変化させ、列植は頭上に樹冠を広げるとき、空間の重合を可能とする。新しい樹木配列は、新しい構成を生み出しただけでなく、新しい光と影の空間言語の可能性を示唆した。まさに木は木であり、いつまで木であり続けることにより 建築にはなしえない近代空間表現が生まれたともいえる。 更に1960から70年代にかけてミニマリズムや環境アートの実験があり、そこにランドスケープアーキテクト初期が追い求めていたリズムと環境アートのなかの植物の扱い方を見ることができる。例えば「木材という彫刻素材は、もとは樹木である」などの作品で製材という工程を自らの制作過程にとり入れたディビッド・ナッシュは、J.アンドリューによると(J. Andrews (1996) : The Sculpture of David Nash, p. 57、The Henry Moore Foundation)ミニマルな形態に向かう彫刻家の意志と、樹木という生物の偶発的形態の交差点に位置している。そしてミニマリズム・アートは「修辞の否定」の上に位置し、近代の視覚美術の一概念 形態からすべての物語性を排除するかたちが、ヨーロッパのディーター・キーナストや次世代のピーター・ウォーカーらによりランドスケープに展開されたとき、それはあらためて植物という生物素材の特質を際立たせることになった。すなわち極限まで純化された配列の中において、植物はその生物としての形態価値-ひとつとして同じ形のものはありえないことを顕在化させたのである。一方、ジョージ・ハーグレイブスは環境アートの植物への関心を埋立地の再生公園や河川敷整備を自生植物の偶発性にゆだねるという手法として展開した。環境アートの多くが植物の生物としての特質個体差、偶発性そして増殖に発想の多くを得ており、制度への反駁や構造への反問の形態言語をつくり出したことに着目したのである。
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