建築と彫刻とは? わかりやすく解説

建築と彫刻

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 09:24 UTC 版)

アテーナー・ニーケー神殿」の記事における「建築と彫刻」の解説

アテーナー・ニーケー神殿は、4柱式イオニア式建築で、前面ポルチコとほぼ同じコロネード後面ファサード構成していた。設計建築家カリクラテスである。紀元前6世紀建設されアテーナー神殿紀元前480年アケメネス朝ペルシャ破壊されたため、その廃墟の上建設された。スタイロベートからペディメント頂上までの高さは約7メートル控えめだった。円柱の高さと直径比率は7:1で、イオニア式標準である9:1または10:1では実現できない優雅さがあったという。白い大理石製で、戦争出費かさんでいたため少しずつ建設された。 アテーナー・ニーケーの像が5メートル四方小さな内陣設置されていた。パウサニアスによれば、この像は木製左手ヘルメット持ち右手ザクロ豊穣象徴)を持っていたという。ニーケーは本来「翼のある勝利の女神」だが(サモトラケのニケ参照)、アテーナー・ニーケーの像には翼がなかったため、アテナイ人はこれを Nike Apteros(翼のない勝利)と呼びアテナイ決し離れないように翼を奪われたのだという伝承生まれたエンタブラチュアにあるフリーズ4面全部にあり、紀元前5世紀理想化され古典様式彫刻施されていた。北面フリーズにはギリシャ人同士騎馬兵戦い描かれていた。南面フリーズにはプラタイアの戦いでのペルシャへの決定的勝利描かれていた。東面フリーズにはアテーナーゼウスポセイドーンといった神々描かれており、紀元前5世紀アテナイ社会的政治的情勢において特に信仰され神々表していた。 神殿完成後の紀元前410年ごろ、急峻な稜堡から人が落ちるのを防ぐために手摺設置された。手摺には様々なことをしているニーケーレリーフ施されていた。 3度修復経てアテーナー・ニーケー神殿エレクテイオンパルテノン神殿と共に今もアクロポリス建っている。スタイロベート円柱大部分そのままだが、屋根抜け落ちペディメント大部分失われている。フリーズ断片アクロポリス博物館展示されており、神殿にあるフリーズ複製である。

※この「建築と彫刻」の解説は、「アテーナー・ニーケー神殿」の解説の一部です。
「建築と彫刻」を含む「アテーナー・ニーケー神殿」の記事については、「アテーナー・ニーケー神殿」の概要を参照ください。

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