建築としての歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 03:17 UTC 版)
大和田銀行本店として1925年(大正14年)に着工し、1927年(昭和2年)に竣工した。建設費用として35万円が投じられた。鉄筋コンクリート(一部石造)・地上3階地下1階の建物には、当時の北陸地方では珍しかったエレベーターが備えられた。この建物は銀行としての業務スペースのほか、公共スペースも併せ持っており、地下はレストランとして、屋上部はビアガーデンとして開放されていた。また3階には舞台を備えた集会場があり、公会堂としても利用されていた。これには、地域の経済発展とともに文化的な充実・発展を目指した創業者大和田荘七の思想が反映されていると評価されている。 第二次世界大戦末期の敦賀は、1945年(昭和20年)7月12日の敦賀大空襲をはじめ数度の空襲を受けたが、この建物は戦災を免れた。1945年(昭和20年)10月1日に大和田銀行が三和銀行に吸収されると、この建物は三和銀行敦賀支店となり、次いで福井銀行敦賀港支店となった。1977年(昭和52年)には建物が敦賀市に寄贈され、1978年(昭和53年)から敦賀市立歴史民俗資料館として利用されている。建物は1993年(平成5年)に敦賀市指定文化財に指定され、1994年(平成6年)には敦賀市立博物館に改称している。2010年(平成22年)には福井県指定有形文化財に指定され、2017年(平成29年)には国の重要文化財に指定された。
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