山菜・果実採集
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 00:59 UTC 版)
狩りや川漁が男性の大切な仕事ならば、山野での山菜、果実採集はアットゥシ織り、子育て、農業とともに女性の大切な仕事だった。雪が解けて木の芽が芽吹くや、女性は「サラニㇷ゚」(saranip シナノキの繊維で編んだ袋)と「メノコマキリ」(menoko makiri 女性の小刀)、「イタニ」(掘り棒)、「シッタㇷ゚」(鹿の角で作った小型の鶴嘴)を手に山野へ繰り出した。 春一番でエハ(eha ヤブマメの実)、プクサ(pukusa ギョウジャニンニク)、オハウキナ(ohaw kina ニリンソウ)、アンチャミ(ancami アザミ)、ピットㇰ(pittok オオハナウド)、ノヤ(noya ヨモギ)、マカヨ(makayo フキノトウ)、ソㇿマ(sorma クサソテツ)、シケㇾペキナ(sikerpe kina ヒメザゼンソウ)、コㇽコニ(korkoni アキタブキ)、メンピロ(mempiro ノビルの鱗茎)、ムㇰ(muk バアソブの根)、トㇷ゚ムㇰ(topmuk ツルニンジンの根)、プイ(pui エゾノリュウキンカの根)を採集し、初夏になれば保存食として重要なトゥレプ(turep オオウバユリの鱗茎)を大量に採集する。 秋に至れば木の実がなる。マウ(maw ハマナスの実)、ペロ(pero ナラになるドングリ)やニセウ(nisew カシワになるドングリ)、ヤㇺ(栗)、ネシコ(クルミ)、ハッ(hat ヤマブドウの実)、クッチ(kutci サルナシの実)などである。さらにカルㇱ(karus キノコ)の類も重要な食料だった。特にユㇰカルㇱ(yuk karus マイタケ)は味も良く、和人との交易に出せば優位な取引が出来る。そのため発見した際は、その周りで踊ったのちにオンカミ(onkami 拝礼)しながら採ったという。 湖沼の沿岸に営まれるコタン(kotan)では、栗に似た味のペカンペ(pekampe 菱の実)も重要な産物である。秋になると湖上になる実は、ラタㇱケㇷ゚(rataskep 後述、ここでは煮物)の具、神への供物となる上等な食物である。特に釧路川流域の塘路湖はペカンペの大産地として知られ、沿岸にはその恵みゆえに戸数の多いコタンが存在した。昭和中期まで、この地では秋になるとペカンペの恵みに感謝する神事ペカンペカムイノミ(pekampe kamuy nomi)が厳かに執り行われ、これが済んでから収穫を行っていた。狩猟漁撈民族であるアイヌが植物のために行う神事は北海道でもここだけで、大変珍しい例である。しかし豊富な菱の恵みは収奪の的でもあり、湖畔には「ペカンペの争奪戦に備えた」と伝えられるチャシ(砦)が存在する。 山菜類は茹で上げてアクを抜き、オハウ(ohaw 汁物)の具やラタㇱケㇷ゚(ここでは山菜と脂の和え物のような料理)とする。そして最も大事なのは、乾燥加工だった。一年の半分を雪に覆われる北海道では、冬季は必然的に青物不足をきたす。それは脚気や壊血病に繋がり、死を招きかねない。そのため春から夏にかけ大量に採取された山菜類は、大鍋で茹で上げた後にゴザに広げて天日乾燥し、「ポロサラニㇷ゚」(poro saranip 大きな袋)に納めて「プー」(pu 高床倉庫)に保存した。 江戸時代後期、ロシアの侵攻に備えた沿岸警備のため北海道で越冬した和人は、米と味噌を中心とした和食に固執したため多くの者が脚気による浮腫に斃れた。1807年にオホーツク海沿岸の斜里郡で発生した津軽藩士殉難事件では、在住の津軽藩士100余名のうち72名が数か月のうちに死亡している。しかしアイヌは乾燥保存した植物や冷凍保存した獣肉、魚肉を食べてビタミンを摂取し、過酷な冬を乗り切っていた。 ドングリ類は茹でてアクを抜き、シト(sito 団子)やラタㇱケㇷ゚(ここでは和え物)に加工する。 山菜類の中で最も重要なのはプクサ(ギョウジャニンニク)だった。冬枯れの中で一番に緑濃い茎を出し、食欲をそそるニンニク臭を漂わせる。それはまさに春の喜びであり、女性達は山野に繰り出して採集する。採集の際、問題となるのがセタプクサ(seta pukusa スズラン)の存在である。スズランの芽生えはギョウジャニンニクと酷似しているが、毒草である。したがってアイヌ民族はスズランの芽生えをセタ・プクサ(犬のプクサ)、スズランの実をチロンヌㇷ゚・フレㇷ゚(狐の苺)と呼んで忌み嫌う。毒草をより分けながら採集されたプクサは茹で上げ、獣脂や塩で和えて食べたり汁の実にする。炊いた際の湯気には薬効があるとされ、風邪の際は蒸気を浴びた。さらに特有のニンニク臭は魔物を寄せ付けないとされ、天然痘などの伝染病が流行した際は、村の入り口に掲げ、病魔の退散を願った。西洋の吸血鬼除けにニンニクを使う風習と、相通じるものがある。日本語の北海道方言でプクサを「アイヌネギ」というが、その名はまさに「アイヌ民族の葱」から来ているのである。 日本本土ではほとんど利用されないタネツケバナは、鮭と相性が良いとしてシペキナ(鮭の草)の名で鮭料理の香辛料にされた。北海道弁では「アイヌ山葵」と呼ばれる。 そして、トゥレㇷ゚(オオウバユリ)の球根、そしてそれから抽出される澱粉である。これに関しては後述する。
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