嫌がらせ行為の激化と警察の対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 14:22 UTC 版)
「桶川ストーカー殺人事件」の記事における「嫌がらせ行為の激化と警察の対応」の解説
心身ともに疲弊していた被害者は、6月14日、Aに対して決定的な訣別を告げる。帰宅の最中に被害者は母親に電話を掛け、初めてAとのトラブルが起きていることを伝えた。同日午後8時ごろ、Aとその兄(以下、B)、さらにもう一人を加えた3人が被害者宅を訪れ、居宅中の被害者と母親に対し「Aが会社の金を500万円横領した。お宅の娘に物を買って貢いだ。精神的におかしくされた。娘も同罪だ。誠意を示せ」などと1時間以上にわたり迫り続けた。その最中に父親が帰宅、しばし押し問答があったのち、3人は帰っていった。 その後、被害者は両親に経緯を話し、翌日に家族は上尾署に被害を申告した。署では被害者からの事情聴取に加え、被害者が録音していたAらとのやりとりの内容も確認されたが、応対した署員は「これは事件か民事の問題か、ぎりぎりのところだね」「3ヶ月ほどじゃ相手の男も一番燃え上がっているところだよね」などと述べ、脅迫・恐喝とは認められないとの判断を伝えた。これに対し、被害者と母は現実に危害が加えられる可能性を訴えて捜査を求めたが、署員は「民事のことに首を突っ込むと、後から何を言われるか分からないんでこちらも困るんですよ。また何かあったら来てください」と要求を退けたとされる。ただし警察側は後の国家賠償請求裁判において「相手の男も……」という件と「民事のことに……」という件の言葉については事実を争う姿勢を示した。また、6月21日には被害者がAから受け取ったプレゼントをAへ返送し、同日父親が上尾署を訪れ、名刺と共に「荷物は送り返しました。これからもよろしくお願いします」と挨拶をした。しかし、後に警察はこの時父親は「無事終わり、ひと安心です。こんなもので悪いのですが」と言いながら菓子折を差し出したと主張し、父親はそうした事実は一切なかったと否定している。 のちに殺害についての刑事裁判で明らかになったところによれば、Aが被害者殺害を計画し始めたのは、プレゼント返送の翌日からであった。被害者の身辺ではAからの無言電話や自宅近辺の徘徊といった嫌がらせ行為が続き、やがてその内容は過激化していった。7月13日未明には、被害者の顔写真が入った誹謗中傷ビラが被害者宅近辺の住宅、被害者の通学先、父親の勤務先敷地内などに数百枚ばらまかれた。近所の住人の証言によると、ビラ撒きの実行犯はチーマー風の若い男二人と見られる。被害者は状況確認もかねて通常どおり大学へ向かい、翌朝にも日課である犬の散歩を普段どおりに行った。このとき「人に顔を見られる」と止める母親に対し、被害者は「私は何も悪いことはしてない」と話したという。 母親はビラが撒かれた当日に上尾署を訪れて被害を訴え、同日昼に署員2人による実況見分が行われた。2日後の7月15日、被害者と母親はふたたび上尾署を訪れ、無言電話や付近の徘徊といった被害に加え、殺害も示唆されていると訴えてAの逮捕を求めた。応対した刑事二課長(以下、二課長)は「警察は告訴がなければ捜査できない」「嫁入り前の娘さんだし、裁判になればいろいろなことを聞かれて、辛い目に遭うことがいっぱいありますよ」「告訴は試験が終わってからでもいいんじゃないですか」などと難色を示した。これに対して被害者は覚悟があることを明言した上で「今日告訴しますからお願いします」「なぜ延ばすんですか」と告訴の意を強く示したが、二課長は試験終了後に再訪するよう促し、同日中の告訴はならなかった。 7月20日ごろには、「大人の男性募集中」という文言と被害者の氏名、顔写真、電話番号が書かれたカードが高島平団地の郵便受けに大量に投函され、これを見た者たちからの複数の電話が被害者のもとに掛かってきた。22日、試験期間が明けた被害者と母親は告訴のため上尾署を訪れたが、応対した二課長は担当者不在を理由として1週間後の再来を促した。29日になって告訴状は受理されたが、一連の名誉毀損行為の犯人については「誰がこのようなことをしたのかわかりません」と記載された。 8月23日には被害者及び被害者の父親を中傷する内容の文書数百枚が、父親の勤務先とその親会社に届く。父親は同日に上尾署を訪れたが担当者の不在を理由に帰され、さらに翌日改めて署を訪れると、応対した二課長は中傷文書をみて「これはいい紙を使っていますね。封筒にひとつずつ切手が貼ってあり費用が掛かっていますね。何人かでやったようです」などと述べた。父親はAの逮捕を急ぐように要求したが、二課長は「それはケースバイケースです。こういうのはじっくり捜査します。警察は忙しいんです」と取り合わなかった。いま一人応対した課員(以下、課員a)は被害者への名誉毀損事件についての書類を整理し、二課長への決裁に上げていたが、二課長はその書類をいったん自身の机に保管し、30日になって上司である刑事・生活安全次長(以下、次長)の決裁を仰いだ。次長はその書類を二課長の机に放り投げ、被害者家族がAからの被害を再三訴えていたにもかかわらず「犯人が特定されていないのだから、何も告訴状をとらなくても被害届で捜査すればよかったんじゃないのか」などと述べた。 このやりとりがあってから2、3日後、次長の意を受けた二課長は被害者から被害届を取り、告訴を取り下げさせるよう課員aに指示した。被害届であれば県警本部への報告義務がなく、事件を迅速に処理する必要もなかったからである。課員aは9月7日に被害者宅を訪れて被害届を受け取り、さらに21日に再訪して告訴の取り下げを求めた。被害者の母親がこれを断ると、課員aは刑事訴訟法の規定で一度告訴を取り下げると再告訴はできなくなるにも関わらず、それが可能であるように話し母親の説得を試みた。しかし母親の意志は固く、逆に「捜査はしてくれないんですか」などと強い調子で問われ、課員aは引き下がった。警察から告訴取り下げ依頼があったことを知った被害者は、友人に対し「私、本当に殺される。やっぱりAが手を回したんだ。警察はもう頼りにならない。結局なにもしてくれなかった。もうおしまいだ」などと話し、以後急速に落ち込んでいったという。なお、事件発生後にこの件について問い合わせを受けた県警幹部は「調べてみたが、そんな刑事はうちにはいない。記録も報告もない。そんなことを言うはずもない」と事実を否定し、別の捜査関係者は「偽者だ。おそらく芝居を打って告訴を取り下げさせようとしたのだろう」などと述べていた。このため、この件が報道された当初は、犯行グループが用意した「偽刑事」による芝居だとされていた。 10月16日午前2時ごろ、被害者宅前に大音響で音楽を鳴らした車が2台現れる。両親はすぐに屋外に出て車とそのナンバーを撮影し、警察に通報したが、不審車を捕らえることはできなかった。これが被害者が殺害前に受けた最後の被害となる。
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