執筆動機・構成
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三島は1960年(昭和35年)頃から大長編を書きはじめなければならないと考え、19世紀以来の西欧の長編小説とは違う〈全く別の存在理由のある大長編〉、〈世界解釈の小説〉を目指して、『豊饒の海』を1965年(昭和40年)6月から書き始める。壮途半ばで作家人生を病で終えた高見順の死も執筆に拍車をかけたとし、その執筆動機を以下のように語っている。 私はやたらに時間を追つてつづく年代記的な長編には食傷してゐた。どこかで時間がジャンプし、個別の時間が個別の物語を形づくり、しかも全体が大きな円環をなすものがほしかつた。私は小説家になつて以来考へつづけてゐた「世界解釈の小説」を書きたかつたのである。幸ひにして私は日本人であり、幸ひにして輪廻の思想は身近にあつた。 — 三島由紀夫「『豊饒の海』について」 そして、学習院時代の旧師の松尾聰の校注に成る『浜松中納言物語』に依拠した「夢と転生がすべての筋を運ぶ小説」を四巻の構成にし、〈王朝風の恋愛小説〉の第一巻は〈たわやめぶり(手弱女ぶり)〉あるいは〈和魂〉を、「激越な行動小説」の第二巻は〈ますらをぶり(益荒男ぶり)〉あるいは〈荒魂〉を、〈エキゾチックな色彩的な心理小説〉の第三巻は〈奇魂〉を、第四巻は〈それの書かれるべき時点の事象をふんだんに取込んだ追跡小説〉で〈幸魂〉へみちびかれてゆくものと三島は説明している。 ちなみに、1950年(昭和25年)の『禁色』の創作ノートにもすでに、〈螺旋状の長さ、永劫回帰、輪廻の長さ、小説の反歴史性、転生譚〉といった言葉が並び、『豊饒の海』を予告するような記載があり、初期作品の『花ざかりの森』『中世』『煙草』などにも「前世」への言及が見られ、もともと三島には早くから転生への関心を抱いていた傾向が見られる。 〈豊饒の海〉の題は「月の海」の名のラテン語の訳語であるが、三島は、作品完成前に有人ロケットの月面着陸が行われることに触れて、〈人類が月の荒涼たる実状に目ざめる時は、この小説の荒涼たる結末に接する時よりも早いにちがひない〉と述べ、題名は、〈月のカラカラな嘘の海を暗示した題で、強ひていへば、宇宙的虚無感と豊かな海のイメーヂとをダブらせたやうなもの〉で、禅語の〈時は海なり〉の意味もあると説明している。 三島は、論理も体系もない芸術の宿命や限界に、大きな哲学の論理構造を持つ大乗仏教の唯識の思想のような〈人間を一歩一歩狂気に引きずりこむような、そういう哲学体系〉を小説の中に反映させた長編を書き出したと述べ、第二巻の連載中には、汎神論のような宗教の世界像のようなものを、〈文学であれができたらなあ〉という願望を示しながら以下のように語っている。 そういう世界包括的なものを文学で完全に図式化されちゃったら、だれも動かせないでしょう。日本だったら「源氏」がある意味でそうかもしれないし、宗教ではありませんけれども馬琴が一生懸命考えたことはそういうことじゃないか。仁義礼智忠信孝悌、ああいうものをもってきて、人間世界を完全にそういうふうに分類して、長い小説を書いて、そうして人間世界を全部解釈し尽くして死のうと思ったんでしょう。 — 三島由紀夫「対談・人間と文学」(中村光夫との対談) また、プルーストも『失われた時を求めて』を書くことで、〈現実を終わらせようとした〉とし、その理由を以下のように三島は述べている。 ことばというものは終わらせる機能しかない。はじめる機能などありはしない。表現されたときに何かが終わっちゃう。その覚悟がなかったら芸術家は表現しなければいい。一刻一刻に過ぎてゆくのをだれもとめることはできない。しかしことばが出たらとめられる。それが芸術作品でしょう。それをだんだん広めていけば、ああいうものをやりたいという意欲はわかる。現実を終わらせちゃうことですね。(中略)ことばというのは世界の安死術だと思いますね。鴎外の「高瀬舟」ではないけれども、ことばというのは安死術です。そうしなければ時が進行してゆくことに人間は耐えられない。 — 三島由紀夫「対談・人間と文学」(中村光夫との対談) こういった三島の創作動機を松本徹は、「小説」というものが出現して以来の、最長時間かつ国境を越えた広大な空間に展開させ、「この人間世界全体」を可能な限り覆い尽くし、その成り立ちと意味を解き明かして、「小説なるものの存立の意味を示す」という「究極の小説」を三島が目指し、さらに「日本語として全きもの」を企図したと解説している。
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