坂本龍馬関係資料とは? わかりやすく解説

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坂本龍馬関係資料

主名称: 坂本龍馬関係資料
指定番号 97
枝番 0
指定年月日 1999.06.07(平成11.06.07)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 歴史資料
ト書
員数 6巻4点
時代区分 江戸
年代
検索年代
解説文: 坂本龍馬は、天保六年(一八三五)、土佐藩郷土坂本八平尚足の二男として高知城下本丁筋に生まれた城下日根野弁治道場和術兵法学んだが、嘉永六年(一八五三)、江戸へ出て北辰一刀流千葉定吉の下で剣術修行積んだ。翌安政元年帰藩後、絵師河田小竜から海運交易必要性について教示され海外へ視野を開くとともに、また土佐勤皇党盟主武市瑞山とも交流深めた文久二年(一八六二)には藩を脱して江戸に赴き、勝海舟門下生となった。そこで幕府神戸海軍操練所建設奔走したが、翌年勝が江戸召還されるに伴い龍馬薩摩藩預けられた。ここで薩摩藩支援得て慶応元年一八六五)、長崎亀山社中(後の海援隊)を開き一方で三条実美桂小五郎らと会談重ねた。こうして薩長両藩との関係を深め、同二年正月に成立した薩長同盟実現尽力した。同三年後藤象二郎説き山内容堂建白通じて大政奉還実現させた。このとき後藤とともに海路上京する船中でまとめた龍馬国家構想が「船中八策」である。しかし、前年寺田屋事件以来幕府狙われ十一月十五日、京都において見廻組襲撃され維新目前三三歳の生涯閉じた
 今回重要文化財指定をうけた坂本龍馬関係資料は、以上の龍馬経歴足跡および思想形成を示すものを中心とし、内容から書状記録類遺品類大別される
 書状記録類の中では『坂本龍馬桂小五郎遺墨』との外題付され一巻龍馬自筆書翰が九点、龍馬宛の書翰三点ある。このうち龍馬自筆書翰には、刻々と変化する政情や、勝門下となった喜び、妻龍の出生性情出会い、そして著名な新婚旅行報告文等が綴られている。今日所在確認されている龍馬書翰は、脱藩後の八年間に集中し連名含めると一六通あるが末姉乙女宛てた今回の九点を含めた書状が最も主要なのであるまた、自詠和歌および俚謡三点確認できる
 記録類には、『龍馬遺墨雄魂姓名録並海援隊日史秘記一巻と、龍馬学んだ高知藩和術主流であった小栗流日根野弁治善か与えられ免許目録三巻、さらに『坂本家先祖書系図一巻がある。このうち、『龍馬遺墨雄魂姓名録並海援隊日史秘記』は「雄魂姓名録」「海援隊商事秘記」「起慶応丁卯首夏 海援隊日史」からなる。「海援隊日史」は、その筆致から海援隊文官長岡謙吉の手になると思量され、いずれも記録乏し海援隊に関する基本史料として注目される本状には隊士人名録海援隊約規や船中八策をさらに発展させた新政体制構想草案等が含まれ、「海援隊商事秘記」からは商ハットマンからのライフル銃購入等の商業活動知られる。さらに「雄魂姓名録」は当時著名な人名事件時間数え方訓練号令集、アルファベットからカステラ製法堺事件まで記し幕末維新期社会事情をうかがう記録である。
 次に遺品類四点中には、まず龍馬暗殺された際に、その背後掛けられていたとされ、表装下部血痕付着している掛幅がある。これは勤皇家の文人であった板倉槐堂の筆になる画軸であり、長岡謙吉遭難当時模様画幅の上題字として墨書している。また、同様に龍馬暗殺室内にあったといわれる二曲一隻絵画書蹟貼交屏風があり、これにも下部血痕認められる。その他、龍馬所用赤銅菱形透彫三徳黒羽二重桔梗の五ツ紋が付され紋服がある。
 坂本龍馬幕末維新という激動渦中において、当時重要人物との交流通じて統一国家実現向けた指導者一人となった。これらの資料はその龍馬軌跡思想形成を示す基本資料として一括まとまったものであり、幕末期政治・社会研究上に貴重である。
 また、これらの資料龍馬ゆかりの家から恩賜京都博物館寄贈されたものである
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