在職中の出来事
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1949年4月30日のカブス対カージナルス戦でのこと。3-1とカブスがリードした9回表、ツーアウトからカージナルスのロッキー・ネルソンの打ったレフト方向の打球を、カブスの中堅手アンディ・パフコが転倒しながら処理した。試合終了と思いきや、三塁塁審だったバーリックはパフコーが打球を捕球していないと判定を下す。パフコーはグラブに納めたボールを高く掲げ、捕球したことを猛烈にアピールしたが、タイムをかけておらずその間に打者のネルソンがベースを一周してしまった。記録はネルソンの二点本塁打となり、結局試合は4-3でカージナルスが逆転勝ちした。ロッキー・ネルソンのこの一打は、後に『220フィート(約67m)のホームラン』『インサイド・ザ・グローブ・ホームラン』と呼ばれた。 1968年11月7日に新潟市営鳥屋野野球場で行われた日米野球の試合で、3回にカージナルスのカート・フラッドが巨人の堀内恒夫から放った打球は、球場のフェンスに跳ねてスタンドに入る。塁審の平光清は本塁打を宣告するが、これに巨人の選手らが、打球がフェンスの内側で跳ねたと主張し、審判団での協議を求めた。平光が審判を集めようとしたところ、一塁塁審をしていたバーリックが、『君がホームランと言ったのなら、それでいいんだ』と大声で諭し、巨人軍側の抗議を一蹴してしまった。
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在職中の出来事
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「ネスター・チャイラク」の記事における「在職中の出来事」の解説
1974年6月4日に、インディアンズの本拠地ミュニシパル・スタジアムで行われたレンジャーズ対インディアンズ戦で、集客に苦しんでいたインディアンズは、球場内のビールを10セントで販売するというイベントを打ち、25,000もの観客がつめかけた。しかし試合は最初から荒れ、酔った観客がグラウンドに降りて試合はたびたび中断された。9回裏インディアンズが同点に追いつきサヨナラの場面になったが、この頃には観衆から石が投げられ、野手がファンに取り囲まれたり、グラブを盗まれるなど試合続行不可能な状態に陥る。この試合の塁審だったチャイラクも投石を受け椅子で殴られるなどしたため、9回2アウトの場面で「没収試合」とされた。この試合のスコアは5対5だが、インディアンズの試合放棄の扱いとなっている。(詳細は10セント・ビア・ナイトを参照)
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在職中の出来事
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「ジョッコ・コンラン」の記事における「在職中の出来事」の解説
1941年8月19日にエベッツ・フィールドで行われたダブルヘッダーは雨に見舞われた。第2試合の最中、当時ピッツバーグ・パイレーツの監督をしていたフランキー・フリッシュが、グラウンドの状態の悪さを抗議しに出てきたが、傘をさしてグラウンドに現れたために、コンランから退場を命じられ、後日50ドルの罰金が言い渡された。このときの傘をさしたまま言い争っていたフリッシュとコンランの光景は、後に画家ノーマン・ロックウェルの油絵の題材となった。
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在職中の出来事
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1939年9月3日のレッドソックス対ヤンキース戦でのこと。当時は日曜夜の外出禁止令が出ていたこともあり、8回で7-5とリードしていたレッドソックスは、試合を早く進めようとするヤンキースに対して試合を遅らせる行為に出た。ヤンキースの二人の打者を続けて敬遠すると、フェンウェイ・パークのファンは試合進行を遅らせる手助けとして、場内のクッションやゴミをフィールドに投げ込み始めた。ハバードはこの試合を没収試合と宣告したが、当時のア・リーグ会長のウィル・ハリッジが後にこの裁定を覆して両チームの監督に罰金を課し、試合を再開するように命じた。 1947年7月27日のレッドソックス対ブラウンズの試合で、レッドソックスのジェイク・ジョーンズが放った三塁線のファウルの打球がフェアグラウンドに戻ってきそうになるところを、ブラウンズの投手フレッド・サンフォードがグローブを投げつけてこれを妨げた。ハバードは当時の規則に従ってジョーンズに三塁打を与え、試合はこれが元で4-3でレッドソックスの逆転勝ちとなった。グローブを打球に投げた時に三塁が与えられるこのルールは、その後1954年に、フェアグラウンドのボールのみに適用するようルールが改正された。 1961年11月26日のメジャーリーグ規則委員会でスピットボールの合法化の議題が出た際、規則委員会は8対1の投票でこれを否決したが、賛成の1票を投じたのがカル・ハバードだったという。
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在職中の出来事
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1931年4月26日の試合で、ルー・ゲーリッグが放ったホームランの打球が、センターの観客席に当たって跳ね返り、外野手のグラブに納まった。走者のリン・ラリーは、打球が本塁打かどうか確認できずに塁上にいたため、ゲーリッグがうっかりラリーを追い越してしまった。マゴワンはアウトの判定を下し、ゲーリッグは本塁打をフイにしてしまう。ゲーリッグはこの年、本塁打王をベーブ・ルースと分け合うことになった。 1938年6月7日の試合で、クリーブランド・インディアンスの投手ジョニー・アレンが、打者の気を散らそうとして、右袖にひらひらする布のついたアンダーシャツを着てきた。マゴワンはシャツの袖を切るように命じたが、アレンはこれを拒否したため退場処分となった。後にアレンには250ドルの罰金を科せられ、シャツはアメリカ野球殿堂に送られた。 1941年には、この年絶好調で打率3割9分9厘5毛のテッド・ウィリアムズの最終戦となるダブルヘッダーの球審を務めた。マゴワンは、ウィリアムズの最初の打席でホームプレートを掃きながら、「四割を達成したいなら、力を抜くんだぞ」と言った。ウィリアムズはその2試合で8打数6安打して4割を達成した。後年ウィリアムズは「彼が呪縛を解いてくれたのかもしれない」と語っている。 1948年7月19日のインディアンス対セネタースの試合で、判定にずっと文句を言い続けていたセネタースの投手レイ・スカボローに対し、マゴワンは持っていたボール/ストライクのカウンターを投げつけ、セネタースの監督・コーチを含む数人を退場処分にしてしまう。翌日、コミッショナーだったウィル・ハリッジは、マゴワンに前例のない10日間の出場停止と500ドルの罰金の裁定を下した。 1952年8月6日のブラウンズ対タイガース戦で、マゴワンはダグアウトからずっとマゴワンを野次っていたタイガースの投手ビリー・ホーフトを退場させた。元々マゴワンと仲の悪かったセントルイスの記者が、誰が退場になったかを尋ねても、マゴワンは答えを拒み記者を追い返してしまった。この時もマゴワンは出場停止処分を受けたが、1週間程度で復職した。
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在職中の出来事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 23:40 UTC 版)
「ブルース・フローミング」の記事における「在職中の出来事」の解説
1997年6月1日のドジャーズとカージナルスの試合で、当時ドジャーズのルーキー二塁手だったウィルトン・ゲレーロ(ウラジミール・ゲレーロの兄)は内野ゴロを打った際、一塁に走らず何故かスイングして折れたバットの方へ走っていった。その試合の審判員の一人だったスティーブ・リプリーがこの行動を怪しみフローミングに報告する。バットは回収されエックス線検査が行われた結果、使っていたバットにコルクが入っていたことが発覚し、ゲレーロは8日間の出場停止処分となった。 フローミングは2003年に日本で行われた開幕戦の審判を務める予定で、リーグ機構を介さすに日本行きの航空券を購入したが、そのことを当時の審判部長ケーシー・デービスに咎められた。その際ユダヤ人を差別する発言をしたという理由で、1月31日に10日間の出場停止処分を受け、来日のメンバーから外された。後日フローミングはこのことを反省しデービスに謝罪をしている。 2007年のクリーブランド・インディアンズとニューヨーク・ヤンキースによるディビジョンシリーズ第2戦でのこと、8回にヤンキースのリリーフでマウンドに上がっていたのは、期待の若手剛速球投手ジョバ・チェンバレンだったが、登板中に突然ジェイコブス・フィールドが大量の羽虫の襲来を受ける。フローミングはこの事態に対して試合を中断をせず、防虫スプレーの散布を行っただけで試合を続行する。羽虫が顔や首筋にまとわりついたチェンバレンは調子を崩したのか、四球とワイルドピッチを連発し、ヤンキースはこの試合を落としてしまう。ヤンキースファンはフローミングに批判の声を上げたが、フローミングは「虫が出たことは過去にもある」と語っただけだった。
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