在綱没後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 02:42 UTC 版)
尾張藩士渡辺新左衛門家の名跡は、一時的に分家・尾張藩士渡辺九八郎家の渡辺九八郎安綱が継ぐこととなる。在綱の長男で惣領だった渡辺半十郎宏綱は尾張藩重臣織田萬弥信重家に預けられている間に肺結核で死去。明治3年(1870年)に新左衛門家が家名の復活が許されて五十俵の家禄が給与されたとき、在綱二男の渡辺亘が新左衛門家を相続した。渡辺新左衛門家はその後渡辺亘(法名岳源)の長男渡辺莫(法名岳誠)、莫の従兄弟で渡辺新左衛門在綱の四女志やうの三男の渡辺易(法名岳易)、そして易二男の渡辺次郎と続いている。
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