判定が関連したトラブル
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1994年5月10日、ヤクルト - 巨人戦(明治神宮野球場) 8回裏、ヤクルトの飯田哲也が放ったショートへの打球を巨人の遊撃手、川相昌弘が捕球後、三塁手長嶋一茂に送球し、走者の野口寿浩にタッチしたが、セーフ判定。一茂はこの判定に不服として、即座に三塁塁審、橘髙を押したため、暴力行為で一茂に退場を宣告した。ちなみに橘髙にとって初めて退場処分を下した試合である。 1996年9月4日、広島 - 阪神戦 (広島市民球場) 6回裏、広島の野村謙二郎がショートへ放った打球を阪神の久慈照嘉がキャッチし、一塁へ送球。野村は一塁へヘッドスライディングしたが一塁塁審の橘髙はアウトの判定を下した。この判定に不服とした広島監督の三村敏之がベンチから飛び出し、猛抗議。その際に橘髙に蹴りを入れるなどの暴行を働いたため、橘髙は三村に退場を下した。三村に退場宣告後今度は野村が激昂、橘髙を突き飛ばしたため、野村にも退場を宣告した。 1998年7月31日、阪神 - 巨人戦(阪神甲子園球場) 6回裏、巨人のバルビーノ・ガルベスが阪神の坪井智哉に本塁打を打たれた直後、ホームランを打たれる直前の際どいコースのボールがストライクであるとして、球審である橘髙に不満な態度を見せる。投手交代のため、マウンドに内野陣が集まり、ベンチから監督の長嶋茂雄や投手コーチの堀内恒夫らが出て、長嶋がガルベスにベンチへ戻るように指示し、戻ろうとしていた途中、突然後ろを振り向き、橘髙にボールを投げつけた(本人はボールボーイに返球しただけと主張)。橘髙の方へはバウンドしたボールが転がっただけで橘髙自身には当たらなかったが、この行為に橘髙も激怒し、ガルベスに向かって走り寄ってしまったためガルベスも応戦し、乱闘騒ぎになった。(ガルベスはそのシーズンの残り試合出場停止処分となった。) 1999年6月1日、中日 - 巨人戦(ナゴヤドーム) 4対3と巨人の1点リードの6回裏、中日の攻撃。無死満塁から打者・渡邉博幸の打球は左足に当たったかと思われたが、橘髙は当たっていないと判定し、その打球は捕手が処理して併殺打になった。この判定に中日監督の星野仙一が7分間に渡る猛抗議をしたが、判定は変わらず、試合もそのまま巨人が勝利した。 2000年5月6日、中日 - 横浜戦(ナゴヤドーム) 7回裏、中日の攻撃。立浪和義への内角球を、球審の橘髙はストライクと判定した。判定に不満を示した立浪が橘髙の胸を突いたとして退場処分を宣告した直後、中日監督の星野仙一が橘髙に体当たりし、中日ベンチから選手・コーチが一斉に橘髙のもとに詰め寄り、乱闘騒ぎになった。その際、大西崇之が橘髙の胸付近を殴り、橘髙は右肋骨骨折と左肩、背中などの軽傷と診断された。最終的に星野、立浪、大西の3人が退場処分を受けた。星野には5日間の出場停止と50万円の罰金、立浪に5日間、大西に10日間の出場停止と10万円の罰金がそれぞれ科された。その後、星野、立浪、大西の3人に対しては、それぞれ別地域に住む一般人2名が傷害罪で名古屋地方検察庁に刑事告発(刑事告発は誰でもできる)を行ったが、橘髙本人から被害届が出ていない、3者とも反省の意思を示しているとのことで、書類送検された後に起訴猶予処分となった。 2000年6月7日、巨人 - 阪神戦(東京ドーム) 打席を3回外した阪神の和田豊に対し、巨人のダレル・メイは和田の頭めがけて故意にボールを投げつけた。ボールは和田の頭部付近を通ったが、球審の橘髙はその時点では処置をしなかった。しかし試合後、メイが「to him」と発言したため、後日連盟より、出場停止10日間、罰金50万円の処分を受けた。橘髙を含む審判団は、本来ならば投球時点で確認を行い厳正な処分を行うべきであるとして、連盟より厳重戒告の処分を受けた。 2004年10月16日、中日 - 西武戦(2004年の日本シリーズ第1戦、ナゴヤドーム) 5回裏、中日の攻撃。一死一塁から中日の谷繁元信の打球は捕手前のゴロとなった。西武の野田浩輔がこれを処理し直ちに谷繁に触球を試みた。球審の橘髙は野田が打者走者の谷繁に触球したと判定し、アウトを宣告した。続いて野田は二塁へ送球。橘髙のアウトの宣告が聞こえていなかったのか、二塁塁審の杉永政信は一塁走者のオマール・リナレスにフォースアウトを宣告した。この判定を受け、ショートを守っていた西武の中島裕之は一塁に送球。西武側は併殺したと判断し、ベンチに引き上げた。すると中日監督の落合博満は審判団に、「打者走者に対する触球によってアウトが宣告されたのなら、二塁はタッチプレーになる。一塁走者はアウトではない」と主張した。審判団は協議の上、杉永によるフォースアウトの判定を取り消し、二死二塁からの再開を決めた。この判定に対し西武監督の伊東勤が、「一度審判員がアウトと言ったのだから…」とこの決定に対して異議を唱える。この間、約49分にわたり試合が中断、最後はこの試合の責任審判であった左翼外審の友寄正人と、橘髙が場内アナウンスで謝罪する事態となった。この件で審判団はコミッショナーから厳重注意を受けた。 2005年9月7日、中日 - 阪神戦(ナゴヤドーム) 9回表、阪神の攻撃。阪神の中村豊の本塁突入の際のクロスプレーの判定を巡り、阪神監督の岡田彰布らによる抗議で試合が一時中断した。さらに9回裏、中日の攻撃。無死二・三塁の場面で、打者・谷繁元信の打球は二塁方向へのゴロで、セカンドを守っていた阪神の関本健太郎はスタートを切った三塁走者のアレックス・オチョアをアウトにしようと本塁に送球したが、球審の橘髙はセーフと判定した。平田勝男ヘッドコーチはこれを不服としてベンチから飛び出し、橘髙に暴力行為を働いたため、橘髙は平田ヘッドコーチに退場を宣告した。岡田監督が選手全員を一旦ベンチに引き上げさせ、試合は18分間中断した。 2012年8月31日、阪神 - 広島戦 (阪神甲子園球場) 6回裏阪神の攻撃で一死二・三塁の状況で、打者・能見篤史のスクイズに投手・ブライアン・バリントンはウエストしたが、能見のバット付近で急にボールの軌道が変わり、捕手・倉義和が捕球できずにボールがバックネット方向に転がった。球審の橘髙が空振りストライクの判定をしたため、 3塁走者・平野恵一がホームインし得点が認められた(公式記録は平野の本盗)。なお、打者・能見、 3塁走者・平野ともに当初はファウルと認識していたような行動をとっており、 2塁走者・藤井彰人は、3塁付近まで行っていたものの帰塁している。この橘髙の判定に対し、広島・野村謙二郎監督はファウルではないかと猛抗議したが認められず、 5分を越えた時点で遅延行為として退場処分を受けた。ちなみに複数のテレビカメラでボールがバットに当たっていることが確認でき、塁審も「当たったのでは?」と具申をしている。橘髙の判定の根拠「一番近くで見ていた」が最大のネックとなった。 2019年5月4日、広島 - 巨人戦(マツダスタジアム) 1回裏1死、菊池涼介がショートへの強いライナーを放つ。坂本勇人がそれを落球した後あわてて1塁に送球したが送球が高く浮き、一塁手の中島宏之がジャンプして捕球したがベースから離れファールゾーンに着地した。菊池は中島との衝突を避けようとしてフェアゾーン側に入った。菊池はフェアゾーン側をそのまま駆け抜けて通常通りに戻れば良かったが、もしかしたらアウトになると思った菊池は1塁にとどまろうとしたが果たせず、崩れるように止まって1塁に頭から飛びついて戻ったところを、中島がタッチして一塁塁審の橘髙はアウトを宣告した(記録は遊ゴロ失策と打者走者の走塁死)。橘髙は試合後、菊池が起き上がった瞬間に「二塁に向かう意思があった」と判定したことを述べた。広島は即日、この判定に至った審判団の判断について、「公認野球規則5.09b(4)の例外」の文面を理由に「直ちに帰塁するならタッチされてもアウトにならないはず」と、アウトセーフの判定でなくルールがどうなのかを確認するためセントラル・リーグに意見書を提出した。この意見書の回答は明かされていない。菊池は「誰がどう見ても(二塁に)行こうとしていない。」と語っているが、井端弘和はアウト判定が正しいかどうかはわからないとした上で、ルールに自信が持てなかった菊池が頭からベースに戻ったことで二塁に進塁する意思があったと考察することができると解説している。またこのプレーではリクエスト判定に対しての認識違いも問題となった。菊池が二塁へ向かったかどうかの判定はリクエスト対象外であるが、判定内容の確認に出た広島監督の緒方孝市が審判団とやり取りをするうちに、緒方が菊池の二塁へ向かったかどうかをリクエスト判定してもらえると勘違いし、審判団は緒方がリクエスト可能範囲を認識できていないことを理解しないままタッチプレーのタイミングへのリクエスト判定を行った。結果中島のタッチが早かったというアウト判定となり、もう一度確認しようとダッグアウトから出た緒方を審判団はリクエスト判定についての抗議とみなし退場処分とした。
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