判官贔屓と義経生存伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 03:06 UTC 版)
義経の死については、その直後からこれを否定する噂が人々の間に流れ、そこから義経が蝦夷地(北海道)、さらには中国大陸へと逃れチンギス・カンとなったとする伝説が生まれた。このような伝説は今日では、義経を死なせたくないという後世の人々の判官贔屓が生み出したものであり、「鎖国になってからの江戸人の夢物語」、「英雄の末路の悲惨なのに同情した結果、誰かが、いつか、どこかでつくり出した想像にすぎない」などと否定されている。 義経が北海道へ逃れたとする伝説のきっかけとなったのは1670年(寛文10年)成立の林春斎『続本朝通鑑』であるが、同書の成立時期は蝦夷地に対する日本人の関心が高まった時期にあたる。また、中国大陸へ逃れた義経がチンギス・カンになったとする伝説は、明治時代に内田弥八訳述『義経再興記』(1885年(明治18年)成立)をきっかけとして成立したものであるが、同書の成立時期は日本が中国大陸への進出を企図していた時期にあたる。
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