初期アメリカ心理学とは? わかりやすく解説

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初期アメリカ心理学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 06:16 UTC 版)

心理学の歴史」の記事における「初期アメリカ心理学」の解説

1875年頃にハーヴァード大学生理学講師以前からそうだった)ウィリアム・ジェームズ自身講義で使うための実験生理学小さな実験研究室を開いた。この研究室当時本来の研究使われることがなかったため、「最初の」実験心理学研究室として扱うべきか否かという議論が行われ続けている。1878年に、ジェームズジョンズ・ホプキンス大学で「知覚・脳とそれらの思考対する関係」と題した連続講義行い、そこでトマス・ヘンリー・ハクスリー論駁して、意識とは随伴現象的なものではなく進化において何らかの機能持っていたもの違いなく、もちろん人間によって選択されたものではなかったと主張した同年ジェームズはヘンリー・ホルトに「新たな実験心理学教科書を書くよう契約させられた。彼がこれを素早く書きあげていればこの分野における最初の英語での教科書となっていたであろう。しかし、彼の12巻に及ぶ『心理学原理』が出版されたのはその12年後であったその間イェール大学ジョージ・トランブル・ラッドや(1887年)、レイク・フォレスト大学のジェームズ・マーク・ボールドウィンが(1889年教科書出版した1879年チャールズ・サンダーズ・パースジョンズ・ホプキンス大学哲学講師として雇われた。パース天文学哲学研究でも知られているが、おそらくアメリカで初めての心理学実験をも行っており、色覚主題として1877年に『アメリカン・ジャーナル・オヴ・サイエンス』を公刊した。パース彼の弟子ジョゼフ・ジャストロウは1884年に『メモワーズ・オヴ・ザ・ナショナル・アカデミー・オヴ・サイエンス』誌上論文感覚の細かな違いについて」を発表した1882年にはパースグランヴィル・スタンレー・ホールによってジョンズ・ホプキンズ大学赴任しているが、このスタンレー・ホール1883年アメリカで最初の実験心理学専門とする研究室開いた。後にパーススキャンダルで職を辞することを余儀なくされ、スタンレー・ホールジョンズ・ホプキンス唯一の哲学教授となったスタンレー・ホール1887年に『アメリカン・ジャーナル・オヴ・サイコロジー』を創刊し、同誌は主に彼自身研究室から出され論文掲載した1888年になるとスタンレー・ホールクラーク大学総長となるためにジョンズ・ホプキンス教授職辞し引退するまでこの職にとどまったその後すぐに、実験心理学教室ペンシルヴァニア大学1887年、ジェームズ・マッキーン・キャッテルによって)、インディアナ大学1888年、ウィリアム・ローウェ・ブライアンによって)、ウィスコンシン大学マディソン校1888年、ジョゼフ・ジャストロウによって)、クラーク大学1889年、エドマンド・サンフォードによって)、マクレーン・アサイラム(1889年、ウィリアム・ノイエスによって)、ネブラスカ大学1889年、ハリー・カーキ・ウォルフェによって)に創設された。しかし、プリンストン大学1924年創設されEno Hallこそが、それがプリンストン大学心理学部宿舎となった際に、専ら実験心理学研究するアメリカで最初大学建物であった1890年代に、ウィリアム・ジェームズの『心理学原理』が最終的に発表されアメリカ心理学史上で最も急速に広まった教科書となった本書は、アメリカ心理学者長年わたって注視することになる種類問題基盤多く提供した本書中でも意識感情習慣に関する章が問題前提提供したジェームズの『心理学原理』の影響体感した者の一人としてミシガン大学哲学教授だったジョン・デューイがいる。より若い同僚のジェームズ・ヘイデン・タフツ(ミシガン心理学教室設立した)やジョージ・ハーバート・ミード、そして弟子のジェームズ・ローランド・アンゲルとともに、このグループ心理学を再定式化し、これまでヴントやその弟子たち重視してきた精神物理学影響受けた生理学的心理学よりも社会的環境と心や行動の「活動」に強く重点置いた。タフツはミシガン去って1892年新しく設立されシカゴ大学の若い地位就いた1年後シカゴの老哲学者が職を辞し、タフツはシカゴ大学学長ウィリアム・レイニー・ハーパーにデューイ教授職申し出るよう勧めた最初に抵抗があったものの、デューイ1894年雇われた。デューイはすぐにミシガンでの同僚ミードやアンゲルで学部教員空席埋めた。この4人によってシカゴ心理学派の中核形成された。 1892年に、グランヴィル・スタンレー・ホール新たにアメリカ心理学会APA)を創設する目的クラーク大学会合開き三十数人心理学者哲学者招聘した。APA例年会合一回目はペンシルヴァニア大学でジョージ・ステュアート・ファラートンの主催により同年後半行われた。しかし、APAの中で実験指向メンバー哲学指向メンバーとの間の対立がほぼ即座に湧き起こったエドワード・ティチェナーとライトナー・ウィトマーによって哲学的言明のために分かれた部会」を創立するかあるい哲学者を完全に放逐するかという傾向起こされた。10年ほどの議論の後、西洋哲学会が結成され第一回会合1901年ネブラスカ大学開かれた翌年1902年には、アメリカ哲学会が第一回会合コロンビア大学開いた。これらは結局現代アメリカ哲学会の中央部東部となった1894年には、『アメリカン・ジャーナル・オヴ・サイコロジー』の偏狭な編集方針に不満を抱いた数多く心理学者スタンレー・ホールに、同誌を彼の周辺閉じたものとせずに編集委員会を設けてより多く心理学者開かれたものにするよう掛け合った。これをスタンレー・ホール拒否したため、ジェームズ・マッキーン・キャッテル(コロンビア大学勤務)とジェームズ・マーク・ボールドウィン(プリンストン大学勤務)が共同新たに『サイコロジカル・レヴュー』を創刊し、これがアメリカ心理学研究者論文投稿先として急激に成長していった。 1895年初めに、ジェームズ・マーク・ボールドウィンとエドワード・ブラッドフォード・ティチェナーコーネル大学)が、ヴント研究室生まれた最初にルートヴィヒ・ランゲとジェームズ・マッキーン・キャッテルが報告した例外的な反応時間発見をどう解釈すべきかという、辛辣になり続け議論参加した1896年に、ジェームズ・ローランド・アンゲルとアディソン・ウェブスター・ムーア(シカゴ大学)が『サイコロジカル・レヴュー』で一連の実験結果発表して二人の中でボールドウィンがより正しいことを示した。しかし、彼らはジョン・デューイによる心理学対す新しアプローチ観点から発見解釈しており、それは伝統的な反射弓刺激反応理解否定して、「刺激」なるものと「反応」なるものは観察者状況どのようにみるのかに依存しているという「遠回しな理解を選ぶものであった。完全な立場は、1896年にやはり『サイコロジカル・レヴュー』で発表された、デューイ画期的な論説心理学における反射弓概念」で開陳された。 ティチェナーは『サイコロジカル・レヴュー』(1898年1899年)において、自身心理学対す厳密な構成的アプローチを、シカゴ学派のより応用的な「機能的アプローチと彼が呼んだものと区別することで応答し、それによって構成主義機能主義というアメリカ心理学最初大きな理論的断絶生まれた。ジェームズ・マッキーン・キャッテル、エドワード・リー・ソーンダイク、ロバート・セッションズ・ウッドワースらが主導するコロンビア大学グループは(シカゴに次ぐ)アメリカ機能主義第二世代としばしばみなされる が、彼らの研究心理検査学習教育といった応用分野重点置いていたために、彼らが自身にこの言葉用いることは決してなかった。1899年にはデューイAPA会長選出されたが、ティチェナー会員資格失ったティチェナー1904年自身グループ形成し、これが後に実験心理学協会として知られることになる)。1900年にはジョゼフ・ジャストロウがAPA会長として講話行って機能主義的アプローチ喧伝し、アンゲルは1904年彼による影響力の高い教科書で、1906年APA会長として講話ティチェナー分類採用した実際のところ、構成主義者は多かれ少なかれティチェナーとその弟子限られる(最も影響力の高い教科書実験心理学歴史』を書いたティチェナーのかつての弟子エドウィン・ボーリングこそが、構成主義/機能主義論争20世紀転機におけるアメリカ心理学断層線だという考え始めた)。機能主義概して行為応用といったより実践的な点をより強調しアメリカの文化的な「スタイル」により合致しており、おそらくさらに重要なことに、大学評議員民間資金提供機関の間でより人気強かった

※この「初期アメリカ心理学」の解説は、「心理学の歴史」の解説の一部です。
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