事件の仮説と関係する可能性のある犯罪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 06:54 UTC 版)
「ブラック・ダリア事件」の記事における「事件の仮説と関係する可能性のある犯罪」の解説
数名の犯罪著述家やクリーブランドの刑事のピーター・メリロ (英: Peter Merylo) は、ショート殺害事件とクリーブランド胴体殺人事件との間に関係性があると疑っている。クリーブランド胴体殺人事件は1934年から1938年にかけてオハイオ州クリーブランドで発生した。当時のロサンゼルス市警察の捜査官たちはショート殺害事件の前後に発生した別の殺人事件の捜査の一環で、1947年にクリーブランド胴体殺人事件について調べている。しかし、後にこの2つの事件の関連性は否定された。1980年に、かつてクリーブランド胴体殺人事件の被疑者だったジャック・アンダーソン・ウィルソンと関係する新しい証拠について、セント・ジョン刑事がショート殺害との関連性を調査した。セント・ジョンはウィルソンをショート殺害で立件できるところまであと少しのところだったと主張しているが、ウィルソンは1982年2月4日に火事で死亡した。ショート殺害がクリーブランド胴体殺人事件と関係がある可能性は新たにメディアの注目を集め、1992年にNBCのテレビシリーズUnsolved Mysteries(英語版)で紹介された。番組中で、エリオット・ネスの伝記を書いたオスカー・フレイリー(英語版) (英: Oscar Fraley) は、ネスは両方の殺人事件の犯人である人物の正体を知っていたとする説を出した。 1947年2月10日にロサンゼルスで発生したジェーン・フレンチ (英: Jeanne French) 殺害事件も、メディアや刑事たちはショート殺害事件と結びつけて考えていた可能性がある。フレンチの遺体はロサンゼルス西部のグランド・ビュー大通りで発見された。遺体は裸にされ、ひどく殴打されていた。遺体の腹部には口紅で"Fuck You B.D." (日: くたばれB.D.) と読める文字が書かれており、その下には"TEX"と書かれていた。ロサンゼルス・ヘラルド・エクスプレスはこの事件を大きく取り上げ、その少し前に起きていたショート殺害事件と比較し、"B.D."という頭文字が「ブラック・ダリア」を表していると推測した。しかし、歴史家のジョン・ルイス (英: Jon Lewis) によれば、その口紅の落書きは実際には"P.D."と書かれており、表向きには"police department" (日: 警察) を表しているという。 スティーヴ・ホーデル (ジョージ・ホーデルの息子) やウィリアム・ラスムセン (英: William Rasmussen) などの犯罪著述家は、ショート殺害事件と1946年にイリノイ州シカゴで発生した殺人事件に関連性があるという説を出している。この事件では、6歳のスザンヌ・デグナン (英: William Rasmussen) が殺害され、遺体はばらばらに切断された。ロサンゼルス市警察のドナヒュー警部は、ブラック・ダリア事件はこの事件と関係している可能性があると考えていると公言した。この説の根拠の一つが、ショートの遺体が発見されたノートン・アベニューはデグナン大通りの3ブロック西にあり、そのデグナンという言葉が被害者の少女の姓と同じであるというものである。デグナンの身代金を要求するメモに書かれた手書きの文字と、ショート殺害犯を称する人物が送った"Black Dahlia Avenger"の手紙の文字に顕著な類似性が見られるという根拠もある。どちらの文章でも大文字と小文字が入り混じって使われていた。デグナンの身代金要求のメモの一部は"BuRN This FoR heR SAfTY" 〔ママ〕と書かれていた。また、どちらでもPの文字が似たように不恰好に書かれており、ある単語は正確に一致した。デグナンの事件については、連続殺人犯ウィリアム・ヘイレンズ(英語版) (英: William Heirens) がデグナン殺害で有罪となり終身刑に服している。ヘイレンズは最初、デグナンの家の近くの住居に侵入した容疑で17歳で逮捕された。ヘイレンズは警察から拷問されて自白を強要され、殺人犯に仕立て上げられたと主張していた。2012年2月26日に健康上の問題でディクソン刑務所の診療所からイリノイ大学病院へ搬送され、2012年3月5日にその病院で83歳で死亡した。 また、スティーヴ・ホーデルは自分の父のジョージ・ホーデルがショート殺害犯であると考えている。状況証拠として、父が外科医としての訓練を受けていたことを挙げている。2003年に、1949年の大陪審の報告からの記録で、捜査官がホーデルの家を盗聴し、正体不明の訪問者と次のような会話をしていたという記録を得ていたことが判明している。"Supposin' I did kill the Black Dahlia. They couldn't prove it now. They can't talk to my secretary because she's dead." (もし自分がブラック・ダリアを殺したとしよう。連中にはもう証明できなかった。自分の秘書とは話せない。あいつは死んだからな) 1991年、ショート殺害事件当時は10歳だったジャニス・ノールトン (英: Janice Knowlton) が、自分の父のジョージ・ノールトンがショートを殺害したのを目撃したと主張した。ウェストミンスターにあるノールトン宅の離れのガレージで、父がショートを釘抜き付き金槌で撲殺したという。ノールトンは1995年にDaddy was the Black Dahlia Killerという題名の書籍を出版し、著書の中で父が自分に性的虐待を加えていたとも主張した。2004年にノールトンの義理の姉妹のジョレン・エマーソン (英: Jolane Emerson) は、ノールトンの著書を「ゴミ」と評し、ノールトンはそのように信じているが、16年間ジョージと暮らした自分には偽りであると分かると述べた。また、セント・ジョン刑事はロサンゼルス・タイムズに、ノールトンの主張は事件の実情と一致していないと語った。 ジョン・ギルモア(英語版) (英: John Gilmore) は1994年の著書Severed: The True Story of the Black Dahlia Murder(英語版) (日: 切断―ブラック・ダリア殺人事件の真実) で、ショート殺害事件とジョーゼット・バウアードルフ(英語版) (英: Georgette Bauerdorf) 殺害事件との間に関連性があるという説を唱えた。ギルモアは、ショートはハリウッド酒保で雇われていたが、バウアードルフもそこでホステスとして働いており、2人の間で繋がりがあった可能性があると述べた。しかし、ショートがハリウッド酒保で働いていたことがあるという説については、かつてロサンゼルス・タイムズに在籍したラリー・ハーニッシュなどから反論されている。 ピウ・イートウェル(英語版) (英: Piu Eatwell) は2017年の著書Black Dahlia, Red Roseで、レスリー・ディロンに焦点を当てている。ディロンはベルボーイで、以前は葬儀店の助手だった。ディロンはマーク・ハンセンやジェフ・コナーズ、事件の主任捜査官だったフィニス・ブラウン巡査部長と交友関係があった。ブラウンはハンセンとの繋がりがあり、不正を働いたのではないかと言われている。イートウェルは、この4人がホテル強盗の計画に関与していることについて深く知りすぎたために殺害されたと推測している。さらに、ショートはロサンゼルスのアスター・モーテルで殺害されたという説を唱えている。ショートの遺体が発見された朝、モーテルの所有者たちは、モーテルの部屋の1つに血や糞便が散らばっていたと報告した。1949年にロサンゼルス・イグザミナーは、ロサンゼルス市警察のウィリアム・A・ウォートン (英: WIlliam A. Worton) 署長はフラワー・ストリート・(アスター)・モーテルの件とショート殺害との関係性を否定したと報じた。しかし、ライバルのロサンゼルス・ヘラルドは殺害はそこで起きたと主張した。 2000年、ロングビーチ警察の元刑事のバズ・ウィリアムズ (英: Buz Williams) は、ロングビーチ警察の回報The Rap Sheetでショート殺害についての記事を執筆した。ウィリアムズの父のリチャード・F・ウィリアムズ (英: Richard F. Williams) とその友人のコン・ケラー (英: Con Keller) は、どちらもロサンゼルスのギャング捜査班の一員であり、ショート殺害の捜査を行っていた。ウィリアムズの父は、ディロンが殺人者であり、ディロンがオクラホマの自宅に戻ったとき、元妻のジョージア・スティーヴンソン (英: Georgia Stevenson) はイリノイ州知事のアドレー・スティーヴンソン2世のまたいとこで、アドレーがオクラホマ州知事に連絡をとったため、ディロンはカリフォルニアへの犯罪者引渡しを回避することができたと考えていた。ケラーはハンセンが犯人と考えていた。ハンセンはスウェーデンの外科学校で勉強していたことがあり、ロサンゼルス市警察の著名人が出席した手の込んだパーティを開いていたためである。ウィリアムズの記事によると、ディロンは300万ドルの賠償を求めてロサンゼルス市警察を訴えたが、その訴訟は後に撤回されたという。ハーニッシュはこの説に反論し、ディロンは警察の徹底的な捜査により容疑が晴れており、地方検事の記録でもショート殺害時にはサンフランシスコにいたことが確認されていると主張した。また、ロサンゼルス市警察は隠蔽工作を行っておらず、ディロンは実際はロサンゼルス市から金銭による示談を受けていたとも主張した。
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