事件の余波と遺物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 04:59 UTC 版)
この事件は、その後の王位継承をめぐる議論の中でサリカ法が施行された一因となった。後世のフランス王家において、女性の王位継承権が一切否定される原因となり、さらに無関係であるフランスの王族・貴族女性達の名誉まで傷つけた。 1316年にルイ10世が即位後に早世した際、マルグリットとの間に産まれた長女ジャンヌはルイ10世の実子であるか疑われ、相続権の是非を問われた。フランス貴族達は王族女性の王位継承に対し、ますます慎重になった。 次男フィリップはサリカ法を唱え、姪である先王の王女ジャンヌをフランス王位継承から廃し、自らがフィリップ5世として即位した後に早世し、三男のシャルル4世は戴冠式の後の再婚後、2人の兄同様長くは生きられず、男性の相続人なしで死去した。 シャルル4世存命中は、フィリップ4世の弟で叔父に当たるヴァロワ伯シャルルが推定王位継承者となり、3人目の王妃ジャンヌ・デヴルーが1326年より3年間、1年おきに懐妊しており、まだ王子誕生の可能性があったため、先述の叔父シャルルの長男ヴァロワ伯フィリップが摂政となり、王家は持ち堪えたが、ジャンヌ・デヴルーは男児を授からなかったため、カペー朝は断絶し、傍系であったヴァロワ伯フィリップが王位を継ぎ、フィリップ6世として即位しヴァロワ朝の始祖となった。 一方、イングランド王となったイザベルの息子エドワード3世はフィリップ6世の存在にも関わらず、フランス王位継承権を主張し、その後100年戦争(1337–1453)が起こった。 この事件は後世のヨーロッパの文化にも影響を与え、宮廷愛のテーマを研究している学者たちは、不貞を犯した王妃の物語がネールの塔事件のスキャンダル直後、どの程度で世間の話題から消えるかを観察した。 騎士達が処刑され、妃達は投獄され、フランス王家から追放されたという事実は、世間から注目を集め、大衆の娯楽となったことを明らかにしている。 実際、歴史的文学作品の題材にされた。フランスの劇作家アレクサンドル・デュマは本事件をモデルに1832年、歴史秘話劇『ネールの塔』を書いた。 長編歴史小説『呪われし王たち(Les rois maudits)』7巻シリーズの著者モーリス・ドリュオンは、最初の小説『鉄の王(Le Roi de fer )』(1955年)で、ネールの塔事件の出来事とその後の処刑について、彼の豊かな想像力と魅力的な文章力により細密に表現・説明がなされている。 1200年の建設当初は監視塔として建てられたネールの塔であったが、ルイ14世がパリの街の大幅な改造を行い、1665年には解体され、現存していない。1670年には中世以来の城壁も取り払われた。
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