事件の兆候
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 20:24 UTC 版)
軍人としては確実に実戦経験と功績を重ねていったが、私生活では問題行為がしばしば見受けられた。2002年、タコマのカジノで警備兵と口論を起こした事、軽犯罪容疑で警察の取調べを受けた事など幾つかの問題行為が報告されたが、軍は軽微な問題と判断してか不問とした。2008年の帰国休暇中には酩酊した状態で乱闘騒ぎを起こした記録が残っている。ベイルズに精神疾患の兆候や病歴はなく、2008年に狙撃兵に対して行われる特別な心理テストでも問題は見つかっていない。担当した検査官も何の問題も見られなかったと証言している。入隊から10年目に行われた調査では「一般的な軍人」とされ、外傷の後遺症なども全く見られないと報告されている。 私生活では妻との不仲に悩んでいたとされ、特に2010年の帰国時に表面化したという。既に数年以上の戦闘を経験し、2等軍曹として下士官の地位にあったベイルズは三度目の従軍によって1等軍曹に昇進する事を期待していた。だが軍からは今回の昇格は見送られるとの報告を受け、妻もこの事を自身のブログに記述している。更に次の任地についてもドイツやイタリアなどの米欧州軍、或いはハワイ州、ケンタッキー州、ジョージア州など国内勤務になる事を期待していたが、2011年12月に新たに命じられた任務はアフガニスタン駐留であった。 2012年2月1日、アフガニスタンに到着したベイルズはカンダハール州のキャンプ・ベラムベイに配属されたが、その僅か6週間後に事件を起こす事になる。同地ではデルタフォース、或いはシールズによる特殊作戦が進行中であった。彼が所属する部隊は特殊作戦を行う両部隊への援護として、周辺の治安維持に当たる事が求められていた。銃撃事件の3日前、故郷のベイルズ家では昇進の失敗などによって家計が苦しくなり、彼は自宅を手放す契約に同意するなど再び経済的に破綻しつつあった。自宅はローン返済の為に22万9000ドルで競売に掛けられた。 別の報告は、銃撃の直前に届いた結婚問題についてのメールが彼を逆上させたのではないかと指摘している。
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