事件の公式経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 05:11 UTC 版)
1964年以降、南ベトナム軍とアメリカ軍は共同で、空挺降下や小型舟艇を使用したコマンド部隊による北ベトナムへの越境襲撃作戦(34Α作戦)を実行していた。 これとは別に1964年7月31日より、アメリカ海軍の駆逐艦「マドックス」はトンキン湾で哨戒行動を開始した。任務の公式目的は、領海を侵犯して北ベトナムの沿岸防衛能力に関する情報を得ることにあり、同様の任務は中華人民共和国や他の共産主義国家の沿岸でも行われていた。 「マドックス」の他にも同様の任務に当たっているアメリカ海軍艦艇があり、34Α作戦の一環として同時期に行われていた南ベトナムのコマンド部隊による北ベトナム沿岸への襲撃作戦を支援していた。 7月30日、南ベトナム海軍の哨戒艇数隻がコマンド部隊を乗せてダナン港を出港し、31日にトンキン湾内の北ベトナム軍基地2ヶ所を攻撃した。「マドックス」は攻撃を終えて帰還中の南ベトナム哨戒艇と遭遇し、入れ違いにトンキン湾へ侵入していった。 8月2日、3隻の北ベトナム魚雷艇が南ベトナム艦艇と間違え、「マドックス」に対し魚雷と機関銃による攻撃を行った。その攻撃に対して「マドックス」は直ちに反撃を行い、近くにいた空母「タイコンデロガ」の艦載機の支援も受け、魚雷艇のうち1隻を撃破、他の2隻にも損害を与えた。「マドックス」は機関銃弾丸により軽微な損傷を受けただけであったが、駆逐艦「ターナー・ジョイ」と合流し、南ベトナム海域へと撤退した。 8月4日より、「マドックス」と「ターナー・ジョイ」による北ベトナム沿岸への哨戒行動があらためて開始された。4日夜間に「ターナー・ジョイ」は望遠鏡により北ベトナム軍が攻撃してくることを確認した。その後、約2時間にわたり「マドックス」と「ターナー・ジョイ」は北ベトナム軍艦艇と思われるレーダー目標に対して発砲した。 アメリカ側は自国艦艇が公海において北ベトナム側から攻撃を受けたと発表したが、実際には北ベトナムの主張する領海内に侵入していた。また8月4日の襲撃は戦果確認ができず、誤認の可能性が指摘されたが隠蔽された。 なお、後に捏造と判明したのは8月4日の事件であり、北ベトナム側も2日の事件は認め、4日の事件については当初から否定している。また、リンドン・ジョンソン大統領は8月4日の時点で既に、2日の事件に対する報復として、北ベトナムの魚雷艇基地と燃料貯蔵所に対する爆撃(ピアス・アロー作戦)を命じていた。
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