事件の再検証
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 00:19 UTC 版)
「宮澤弘幸・レーン夫妻軍機保護法違反冤罪事件」の記事における「事件の再検証」の解説
生前のレーン夫妻は、事件について語ることはなかった。もうひとりの当事者である宮澤が、詳細を語る前に病没してしまったこともあり、一連の出来事は長らく謎に包まれていた。ただ、宮澤の担当弁護士に対して裁判所が事件記録の焼却を求めており、日本国が事件の隠蔽を図っていたという側面もある。 1980年代になって弁護士の上田誠吉が、アメリカのデンバーに在住していた宮澤の妹の秋間美江子にたどり着き、その他の関係者への聞き取りや調査結果を著作の中で公開するに及んで、ようやく事件の存在が一般に知られるようになった。1987年(昭和62年)にレーン夫妻の墓所を訪ねた美江子は、母親の生前の非礼をふたりに詫びた。 1997年(平成9年)、レーン記念奨学金はレーン記念賞と改称され、学部1・2年次に英語の成績が優秀な学生を対象として、賞状・記念品・メダルを贈るようになった。 2012年(平成24年)、美江子は兄の遺品であるアルバムを北大に寄贈し、名誉の回復を訴えた。2014年(平成26年)5月の協議では、副学長(当時)が口頭で冤罪事件であることを認めている。2015年(平成27年)には宮澤記念賞が創設され、学部1年次の第二外国語の成績優秀者を対象として、賞状と記念品を贈るとされた。なお前述のレーン記念賞ともども、成績だけではなく「国際親善の精神にふさわしいこと」を授賞の条件としている。 しかし、北大の正史である『八十年史』『百年史』『百二十五年史』に事件に関する記述はほとんどなく、大学としての立場は明確ではなかった。「司法の判断は尊重すべき」という観点から、北大は冤罪の可能性への言及を避けてきたのである。 事件から80年の節目を迎えた2021年(令和3年)、北大は宮澤らの逮捕が「不合理な法運用」だったと認定し、冤罪事件であったことを実質的に認める方針を決定した。同年12月4日から2022年(令和4年)1月末にかけて、北海道大学総合博物館で事件に関する特別展を開催し、大学の立場を対外的に発信する。 「宮澤・レーン事件」80周年特別展
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