上京から渡米までとは? わかりやすく解説

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上京から渡米まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 18:23 UTC 版)

八島太郎」の記事における「上京から渡米まで」の解説

東京美術学校での太郎は、アカデミック官僚的な校風馴染まず、さらにここでも軍事教練反抗して教練授業に出なかった。1年生の冬に帰郷中、教練遠近法不合格落第通知された。東京戻った太郎は、矢部友衛や岡本唐貴の絵を古雑誌見て感銘し1928年春に彼らが所属していた「造形美術協会」に参加するまた、同時期に日本漫画家聯盟」(漫聯)にも参加した。この時期から「岩松淳」の筆名用いるようになる造形美術協会同年11月全日本無産者芸術連盟ナップ美術部第1回プロレタリア美術展共催、漫聯も日本プロレタリア芸術連盟美術部緊密な関係となり、太郎そうした傾向影響受けた一方1929年3月東京美術学校からは再び体操教練)と遠近法不合格理由として「退校」を命じられる当時美術学校には太郎より社会主義運動傾斜した学生もいたが、彼らが合否判定のある学年1年5年)のときは教練申し訳程度出席をして卒業したに対して太郎はそうしたつじつま合わせ」をしなかった。のみならず学校呼ばれて退学通告受けた際に、相手教務掛に自分社会運動加わった理由説明し、話を聞かない相手殴打した。この結果太郎処分は「除名」となり復学の道は断たれた。 学校除名となった太郎は、漫画生計立てながら造形美術協会引き続き参加協会4月ナップ美術部統合して日本プロレタリア美術家同盟ヤップ)を結成すると、その研究所北豊島郡長崎町にあった)で油絵漫画講師となる。当時研究所太郎学んだ一人に、絵本作家赤羽末吉がいる。 太郎1928年の夏頃に山梨県甲府市出身仁科正子出会って交際始めたが(甲府太郎が来た折に出会い、後を追って東京に来たという)、1929年四・一六事件の後に別れた正子1929年6月男子出産沖縄県出身医師結婚して男子育てる。この男子伊佐千尋である。その後、「新井光子」を名乗って研究所出入りしていた八島光本名笹子智江)と出会い二人1930年4月兵庫県御影町現・神戸市)の光の実家簡素な結婚式挙げた太郎研究所のほかに農民運動ストライキ支援出向く一方1932年まで実施されプロレタリア美術展光とともに出品したり、『東京パック』に漫画掲載したりした。さらに実作だけではなくプロレタリア美術漫画評論にも手を染めプロレタリア芸術雑誌論考発表1931年には研究所創刊し月刊タブロイド紙美術新聞編集長にも就任した夫妻日本プロレタリア作家同盟日本プロレタリア演劇同盟等の参加者知り合い、特に中條百合子とは親しくなった。 この頃警察プロレタリア芸術運動への弾圧強め太郎と光は何度も転居重ねた1933年2月小林多喜二警察拷問によって死去した際には、太郎はその通夜参列して小林デスマスク鉛筆スケッチした(「美術新聞」には自身記事付きで、また雑誌プロレタリア文学』にはスケッチ掲載された)。「美術新聞」はこの年5月5日付の号をもって廃刊となる。6月に、太郎と光は大崎警察署特別高等警察検束された。光は信(マコ岩松)を懐妊した状態での検束だった。二人検挙日本プロレタリア文化連盟コップ弾圧最終局面だった。転向手記書けば釈放するという警察勧めに、太郎プロレタリア運動のすばらしさ綴った内容記して暴力加えられた。太郎留置所内で「監房ニュース」を自作し思想犯配ったりもしたが、絵をもう一度勉強した方がよいと考えて手記書き直し1934年2月釈放された。光は前年10月釈放され12月御影実家で信を出産していた。太郎も光の実家身を寄せた。 健康を害していた太郎御影光とともに療養努め回復すると光の実家近く借家家族住んだ光の父笹子謹(ひとし)は太郎と光に支援惜しまず二人は約半年間、因島笠戸島絵を描く写生旅行をする。そのあと一人帰郷し、戻ると再び光と和歌山県東北北海道旅行した造船所経営者だった謹は、自社作る船に太郎の絵を描かせたり自宅アトリエ開いた画塾講師太郎と光を雇ったりし、神戸画廊太郎個展開いた際も協力した1935年9月には東京新宿個展を開く。また、漫画家として『東京パック』に再び風刺漫画掲載したこの頃、光との夫婦仲は生活や芸術価値観違いから円満ではなく喧嘩になれば太郎時に殴打もした。だが、日中戦争勃発以後太郎徴兵されることを二人危惧した。そんな折に光の父から、信の面倒を見る前提二人渡米させる話を持ちかけられる沢田廉三(光の姉の嫁ぎ先縁戚関係にあった)の伝手パスポート入手し渡航費工面するために夫妻の名で「渡米画会」を開き太郎帰郷もして絵を売った1939年3月太郎と光は、横浜港から川崎汽船貨物船君川丸便乗して日本後にする

※この「上京から渡米まで」の解説は、「八島太郎」の解説の一部です。
「上京から渡米まで」を含む「八島太郎」の記事については、「八島太郎」の概要を参照ください。

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