上京〜高校時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 14:21 UTC 版)
小学校に入学する直前の1952年3月末、「子供達には東京で教育を受けさせたい」という父の一念で四国・松山から江東区・大島へ上京。新居は竪川・横十間川・小名木川などの運河に囲まれ、台風が来る度に床下浸水するような江東ゼロメートル地帯だった。小学校時代の彼はこの下町で、野球・ビー玉・メンコ・ベイゴマなどの一連の遊びを体験した。一方、勉学では朗読の習慣が実についていたものの、朗読する文字は読めるのにその文字を書く事が出来ないという『読み』と『書き』の習熟度に著しい差が開いていた。そのアンバランスを補うために母から毎日漢字の書き取りを課せられてしまい、それが終わらないと遊びに行けなかったという辛い日々が続いた。 小学校卒業後は地元中学を経て都立高校へ進学する。高校時代は柔道に明け暮れ、黒帯を取得するまでに至る。その一方で放送部にも兼部したり、柔道部のメンバー達とバンドを組んで、司会兼ドラムの担当で文化祭のステージに立つなど充実した日々を過ごす。特に、バンドを組んで文化祭に挑んだ事は、「この時が自分の将来の重要なポイントになった出来事かもしれない」と振り返っている。そして、高校卒業後(1964年)は日本大学芸術学部放送学科へ進学する。
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