ミュージアム、演劇場、映画館
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「ユジノサハリンスク」の記事における「ミュージアム、演劇場、映画館」の解説
サハリン州立ユジノサハリンスク郷土史博物館(サハリンスキー・オブラスノイ・クラィエヴエチェスキー) - 1931年(昭和6年)、旧「樺太庁博物館」建物(三代目)として貝塚良雄により設計・建築。かつて前州都「アレクサンドロフスク・サハリンスキー」にあった歴史博物館機能および陳列品も吸収統合している。1990年には同館内にあったチェーホフ・コーナーが(同じ市内にある「チェーホフ『サハリン島』記念館」にではなく)逆にアレクサンドロフスク・サハリンスキーにあるチェーホフ記念施設へ移設されている。1950年代後半には、横綱大鵬(出生当時のロシア名は「イヴァーン・ボリシコ」)の実父であるウクライナ系残留ロシア人マルキャン・ボリシコも守衛を勤めていた事がある。解説HP庭 - 九五式軽戦車が野外展示されている。 サハリン州立美術館(中国語: ?哈林州美??) - 前述のレーニン広場東縁沿いを南北に伸びるレーニナ通り(旧豊原大通り)沿いに立地する旧北海道拓殖銀行豊原支店建物(新古典主義建築)建物を流用。収蔵点数は約1万4000点を誇り、近現代美術作品の他、イコン画や北方少数民族の生活用品・工芸品を展示。解説HP、グーグル・ストリートビュー画像 サハリンスキー・ムゼイ・メドヴェジャ(「サハリン生息クマ博物館」ロシア語訳) - 後述の大型ショッピングモール「シーチモルル」5Fに入居(ガガーリン記念文化公園(旧御大典記念豊原市民公園)内より移転)。公式HP(ロシア語)、解説HP、店内グーグル・ストリートビュー画像)」 勝利広場(旧旭ヶ丘公園(その前は豊原競馬場(初代)))内マヤー・イストーリア(「私の歴史」ロシア語訳)博物館 - 2015年開館。古代から現代に渡るロシア全土の歴史を網羅。 パピェーダ(「勝利」ロシア語訳)博物館(もしくは「対日戦勝記念博物館」) - 2015年開館。第二次世界大戦終戦直後に行われた北方領土侵攻作戦の成功を記念。「占守島の戦い」再現ジオラマも展示。解説HP サハリン鉄道歴史博物館 - ユジノサハリンスク駅およびホテルユーラシア北隣りに立地。機関車が動体保存展示。解説HP、グーグル・ストリートビュー画像 栄光広場(旧官幣大社樺太神社鳥居前広場)内軍事技術博物館 地質博物館 サフィンツェントル本館(もしくは「サヒンセンター」「貿易センタービル」) - コンベンション・センター施設も兼ねたサハリン州所有の7階建て巨大ビル。海外観光客向けの物産土産物販売コーナーも附設。2005年には、前庭にてTHE BOOMが野外コンサートを開催。 チェーホフ・センター - ロシアの劇作家・短編小説家「アントン・チェーホフ」を偲び、記念に建造された屋内文化施設群。中心部をユジノサハリンスク駅よりガガーリン記念文化公園手前まで東西を横断するカムニスチーチェスキー通り(旧神社通り)とカムサモーリスカヤー通り(旧東11条通り)が交差する角地に立地。現在は全ての世代の市民・観光客に門戸が開かれた文化娯楽施設集積地区だが、かつて旧ソ連時代においては(アントン・チェーホフ記念施設以外は)ピオネールなど完全選抜制の共産党青少年組織向け施設群や共産党員専用ホテル「ラーダ」(現インターナショナル・ビジネスセンター・ホテル。解説HP)が立地していた。チェーホフ『サハリン島』記念館(もしくは「チェーホフ・ミュージアム) - 解説HP A.P.チェホフ記念サハリン国際ドラマ劇場 - 旧樺太庁豊原高等女学校(建物は現存せず)跡地(敷地の西端一部分。残りの中央以東部分は、「ミーラ通り」として南方向に大きく延長された旧東7条通りにより東隣りの別区画として分断された)に立地。 児童と若者用劇場 コンサートホール「カプリチオ(「狂想曲」「奇想曲」ロシア語訳)」 児童館施設チルドレンズ・クリエイティビティ・パレス児童演劇場 - かつては旧ソ連時代の「ピオネール宮殿ユジノサハリンスク支部」建物を2000年より映画館プリミエル(「主役」ロシア語訳)として運営していたが、現在は再び児童館施設に戻されている。 カムサモーリェッツ映画館 - 前述のレーニナ通り(旧豊原大通り)および(前述のカムニスチーチェスキー通り(旧神社通り)に北方向に四区画置いて並行し、東西に伸びる)サハリーンスカヤ通り(旧真岡通り)が交差する角地(後述のサハリンデパート北方向向かい)に立地するロシア語吹替専門映画館。旧ソ連時代は共産党青年組織「コムソモール」施設「若者文化センター・カムサモール」。ミーラ通り(旧東7条通り)沿いに立地する「スーパー・カムサモーリェツ」との関連は不明(調査中)。 映画コンサートホール「キノー・チアートル・アクチャーブリー(「10月の映画館」ロシア語訳)」 - 北海道新聞社旧樺太支社(同支社閉鎖から47年後の1992年、ミーラ大通り(旧東7条通り)沿いにユジノサハリンスク支局、開局)跡地に立地。隔年1月下旬にて、「日本映画祭 in サハリン」が在ユジノサハリンスク日本総領事館主催で開催される。旧ソ連時代は共産党少年組織ピオネールの下位組織「オクチャブリャータ」施設。グーグル・ストリートビュー画像(映画コンサートホール「キノー・チアートル・アクチャーブリー」北側入口)、グーグル・ストリートビュー画像(映画コンサートホール「キノー・チアートル・アクチャーブリー」南側入口) 人形劇専用劇場「奇跡の島」 - 前述の「映画コンサートホール「キノー・チアートル・アクチャーブリー」裏手に立地。 他の市内映画館としては、後述の大型ショッピングモール「シティモール」3Fフロア内映画館、前述の複合型商業施設パナラーマホテル映画館がある。 サハリン州立ユジノサハリンスク郷土史博物館 サハリン州立ユジノサハリンスク郷土史博物館内の展示物の一つ サフィンツェントル本館 チェーホフ『サハリン島』記念館 A.P.チェホフ記念サハリン国際ドラマ劇場 カムサモーリェッツ映画館 館内
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「豊原市」の記事における「ミュージアム、演劇場、映画館」の解説
樺太庁博物館(三代目。現サハリン州郷土博物館) - 1931年(昭和6年)、貝塚良雄により設計・建築。樺太庁博物館(初代) - (間に真岡通り(現サハリーンスカヤ通り)を挟み)樺太地方裁判所(現アジアーツカ=チハオーキェアンスキー・バンク銀行(ロシア語表記「Азиатско-Тихоокеанский Банк」。「アジアパシフィック銀行」のロシア語訳)ユジノサハリンスク支店)の南方向向いに立地。 樺太庁博物館(二代目) - 1933年(昭和8年)頃、元守備隊兵営地(「現NV.ルダノーフスカガ(ニコライ・ルダノーフスキー旧ロシア帝国海軍少将。ロシア人として最初に樺太(現サハリン島)地図を測量・作成)広場」および「現カムサモーリェッツ映画館」敷地)内にて「警察署(当時)」「託児所」「補修学校」「愛国婦人会館」に囲まれた立地に近隣移転(樺太庁博物館(初代)跡地は憲兵分隊兵営地として再利用。現在、跡地にはフルシチョフカ様式アパートが数棟立地)していた。 豊原市立図書館 - 神社通り(現カムニスチーチェスキー通り)および東六条通り(現ドゥヴァローヴァイ通り)交差角地(北西側区画)に立地。
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