ナチス公認芸術の傾向とは? わかりやすく解説

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ナチス公認芸術の傾向

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 00:54 UTC 版)

退廃芸術」の記事における「ナチス公認芸術の傾向」の解説

大ドイツ芸術展はこれ以後毎年夏から秋にかけて1944年まで開催され続けることになり、会場となったドイツ芸術の家には数十観客毎回訪れた作品の傾向は、ヒトラー言葉通り美しい物を好ましく壮大な物を崇高に」描くことを良しとするものであった。またヒトラー趣味反映して20世紀以降芸術思潮反映されず、第二次世界大戦始まり戦争画増えるまでは、19世紀的な風景画農民画風俗画絵画大半占めた。特に、都市精神退廃の源とされたためか、ドイツ国民多く占め都市住民工場労働者はほとんど描かれず、国民内のわずかな割合に過ぎない農民ばかりが描かれた。農民の生活は、長時間労働など現実農村過酷さよりも理想化して描かれ農家大家族団欒異様に氾濫した。これはナチス血と土というイデオロギーと、大家族出産奨励した当時人種政策深くかかわっているが、世界高レベル科学国・工業国美術農民風俗画逆戻りしあたかも農業国絵画のような状態を呈したのは異様な事態ではあった。 また裸体像も大きな割合占めたツィーグラー始め多く画家古代神話を題材にしたヌードや、寓意的なヌード農村少女ヌードなど裸婦像を多く描いた女性肉体的魅力強調され男性迎え入れる体勢あるよう描かれたが、一方男性筋肉過度に強調され英雄的な姿が多く描かれた。 裸婦や裸の戦士像の描写では、絵画よりも彫刻のほうがより好まれ北方人種裸体像が会場あふれた中でも壮大さ崇高さ、意思や力を強調する巨大彫刻が非常に多く制作され展覧会場のみならず政府庁舎市街地巨大彫刻が飾ることになる。ナチス時代以前から新古典的な作風有名だったが、ナチス時代以降巨大な裸体による記念碑量産しゲオルク・コルベ、そしてアウトバーン工事記念碑実現せず巨大な模型のみ完成)など筋肉の塊のような男たち群像有名なナチス時代代表する彫刻家ヨゼフ・トーラク、古典的な英雄像数多く制作し公共建築にも多く登用されヒトラー評価高かったアルノ・ブレーカーらが代表的な人物であろう建築分野でもヒトラー好みナチスイデオロギーに基づく建築物賞賛された。バウハウス関係者らが作ったインターナショナル・スタイル国際様式)のモダニズム建築退廃的とされ、ドイツ風土伝統合った傾斜屋根の家が好ましいとされた。また政府や党のビルアルベルト・シュペーアらによってヒトラー好み新古典主義建築されたが、これにはナチスドイツ古代ギリシア古代ローマに続く偉大な存在看做されたいという欲求があった。特にシュペーア考えたナチス建築廃墟となった後もギリシア建築ローマ建築匹敵する美し偉大な廃墟となるように設計されるべきという廃墟価値の理論熱烈に支持したこうしたナチス・ドイツ公認芸術は、同じファシズム国家でもイタリアとは大きく異なっていた。イタリアで未来派芸術家たちからファシズム心酔するものが現れ下火になって以降も党の締め付け厳しくなるまではファシスト党のいわば公認芸術となっていた。またベニート・ムッソリーニモダニズム建築家・ジュゼッペ・テラーニ起用し大胆な建築を党や国家のために作らせたほかエウルのような新都市建設している。イタリアで開催されナチス公認芸術展覧会では、イタリア各紙その後退した「客間趣味」に当惑したような感想掲載した。 むしろ、ナチス芸術には、民族性重視写実重視などの面で、ヨシフ・スターリン政権期のソビエト連邦社会主義リアリズムとの共通性が強いとされるアルノ・ブレーカーらはソ連招待されヨシフ・スターリンらからソ連でも記念碑的彫刻作るよう要請されている。しかし、ソ連リアリズム一辺倒だったわけではない革命直後ソ連では抽象芸術構成主義生まれロシア・アヴァンギャルドスターリン方針変えるまで共産党のいわば公認芸術となっていた。ウラジーミル・レーニン自身ダダイストだったという学説出ている(塚原史言葉アヴァンギャルド』)。最初電子音楽機器テルミン作られ現代映画基礎的理論であるモンタージュ生まれるなど当時ソ連前衛芸術メッカ化しており、外国から不遇だった多く前衛芸術家新国家建設参加した例えば、共産主義威信をかけたソビエト・パレス計画段階ではル・コルビュジエヴァルター・グロピウスエーリヒ・メンデルスゾーンオーギュスト・ペレハンス・ペルツィヒといった新進気鋭モダニズム建築家たちが関わっている。従って、終始排除したナチスとは大分異なる。 1920年代から1940年代にかけては近代美術運動の一つピークであったが、一方で無国籍抽象芸術排斥しようという民族主義的美術運動との摩擦各国発生したドイツの「退廃芸術狩り」や民族主義的公認芸術」はその例外ではない。アメリカ合衆国においてはグラント・ウッドやトーマス・ハート・ベンソンらアメリカン・シーン派(地方主義)の画家台頭した一方でスターリン期のソ連では民衆伝統重視する社会主義リアリズム公認芸術となり、その他の様式ナチスのように弾圧こそはしなかったが、軽視され社会主義リアリズム影響欧米など世界中及んだ1930年代においては芸術に国が関与し統制する傾向があったのはドイツとどまらないソ連社会主義リアリズム始めアメリカでニューディール政策一環として連邦美術計画など国が失業芸術家雇って作品制作させる政策が行われた。

※この「ナチス公認芸術の傾向」の解説は、「退廃芸術」の解説の一部です。
「ナチス公認芸術の傾向」を含む「退廃芸術」の記事については、「退廃芸術」の概要を参照ください。

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