ナチス党政権下のドイツに組み込まれた赤十字 (DRK)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 13:50 UTC 版)
「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」の記事における「ナチス党政権下のドイツに組み込まれた赤十字 (DRK)」の解説
1933年にイギリスの王族出身でナチス党員のカール・エドゥアルト元公爵がドイツ赤十字(DRK)の総裁職に(後に国会議員も兼任)、1937年にSS高級将校エルンスト・ロベルト・グラーヴィッツが総裁代行職にそれぞれ就任したことは、DRKがナチスまたはSSの一部局であることを象徴するものであり、後の組織改編を経て決定的となる。赤十字の基本原則である「平等」が破棄されるとともに、ナチスの標榜する人種的な抑圧政策が持ち込まれた。強制収容所の人体実験や選別は、間接的に関係したというあいまいなものではなく、DRKの行為そのものであったと言える。 1945年4月、エルンスト・グラーヴィッツはベルリンが戦場になる中、家族を巻き添えにして手榴弾で自殺。カール・エドゥアルトは非ナチ化裁判で有罪となり、重い罰金を課せられるとともに、財産のほとんどをソ連に没収された。赤十字の崇高な理念に反するだけでなく、まさに利用していたことは、苦しい時代を生きた人々の信頼を著しく失墜させた。
※この「ナチス党政権下のドイツに組み込まれた赤十字 (DRK)」の解説は、「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」の解説の一部です。
「ナチス党政権下のドイツに組み込まれた赤十字 (DRK)」を含む「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」の記事については、「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」の概要を参照ください。
- ナチス党政権下のドイツに組み込まれた赤十字のページへのリンク