ドジャースに入団 ドジャース在籍第1期の活躍とは? わかりやすく解説

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ドジャースに入団 ドジャース在籍第1期の活躍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:02 UTC 版)

野茂英雄」の記事における「ドジャースに入団 ドジャース在籍第1期の活躍」の解説

1995年2月13日ロサンゼルス・ドジャースマイナー契約を結ぶ。契約金200ドル(約1億7000万円)、年俸近鉄時代1億4000万円からわずか980万円になった背番号16は、親交のあったとんねるず石橋貴明が、映画メジャーリーグ2』で日本人選手役として付けていた背番号であることから選んだ野茂渡米した当時MLB前年1994年)からの長期ストライキの影響受けた為に1995年シーズン開幕1ヶ月近く遅れ、レギュラーシーズンの公式試合数が通常162試合制から144試合制に変更されシーズンであった5月2日サンフランシスコ・ジャイアンツ戦で先発投手務めメジャーリーグデビューを果たし村上雅則以来32シーズンぶり2人目の日本人メジャーリーガーとなった7日に初の犠打記録6月2日ニューヨーク・メッツ戦でメジャー勝利を挙げ14日ピッツバーグ・パイレーツ戦で球団新人最多記録16奪三振記録し24日ジャイアンツ戦では日本人メジャーリーガー史上初の完封勝利記録29日コロラド・ロッキーズ戦まででサンディ・コーファックス抜いて球団新記録となる4試合での50奪三振達成同月は初のピッチャー・オブ・ザ・マンス獲得し、50.1イニング投げ、2完封を含む6勝0敗・防御率0.89・WHIP0.82の好成績を残す。7月5日に初の得点記録する前半戦13試合登板で6勝1敗・防御率1.99・WHIP1.07の好成績折り返しオールスターゲームに初選出され先発投手務め、2イニングを1安打失点抑えた8月5日に初の打点記録した8月10日には自身先発した試合没収試合になりメジャーリーグ没収試合経験した初の日本人ともなった9月12日に初の犠飛記録した後半戦15試合登板で7勝5敗・防御率3.03・WHIP1.03の成績残しシーズン通算13勝6敗、グレッグ・マダックスに次ぐリーグ2位の防御率2.54、236奪三振リーグ最多の3完封記録して初の最多奪三振タイトル獲得しチーム7年ぶりの地区優勝貢献日米で『NOMOマニア』という言葉生まれる程の人気誇ったまた、ゲーム実況アナウンサー野茂数多く三振打者から奪うので、彼が三振を取るたびに日本語で「SANSHIN」と発言していた。シンシナティ・レッズとのディビジョンシリーズでは第3戦に先発したが、6回途中5失点降板して敗戦投手となり、チームも3連敗敗退した新人王投票ではチッパー・ジョーンズ抑えて受賞をし、サイ・ヤング賞投票でも4位に入った1996年スプリングトレーニング中に3年430ドル契約延長4月13日フロリダ・マーリンズ戦ではコーファックスに次ぐ球団史2位となる17奪三振記録し完投勝利を挙げた30日に初の四球出塁記録した6月9日に初の二塁打打った7月5日ロッキーズ戦では8回5安打1失点投球でNPB/MLB通算100勝を達成9月1日フィラデルフィア・フィリーズ戦でメジャー史上3人目となる1年目から2年連続200奪三振達成17日ロッキーズ戦では試合開始が2時間遅れたが、途中3回からトルネード封印しセットポジション終始した投球で初のノーヒットノーラン達成した高地空気が薄いためスタミナ消耗早く球場広くない上にボール飛びやすい「打者天国」として知られるクアーズ・フィールド野茂自身も、同球場では過去僅か2回の登板経験ながら防御率11.17と相性悪かった)でのノーヒットノーラン達成者は、2021年シーズン終了時点でも野茂のみであり「完全試合匹敵する」と報道したメディアもあった。また、現在クアーズ・フィールドではボール湿らせることで打球飛びらくしているが、これは野茂記録達成時にボール湿っていたことにヒント得たとされている。この月には自身二度目となるピッチャー・オブ・ザ・マンス獲得した後半戦15試合登板で7勝4敗・防御率2.84・WHIP1.10と好調維持し最終的にチーム最多16勝をマークしたチームサンディエゴ・パドレス地区優勝争い、1ゲーム差敗れたワイルドカード獲得アトランタ・ブレーブスとのディビジョンシリーズでは第3戦に先発したが、4回途中5失点と力を発揮できずに敗戦投手となり、チーム前年続き3連敗敗退した1997年4月25日マーリンズ戦では、ドワイト・グッデン記録更新して当時メジャー最速記録となる4442/3での500奪三振達成8月28日オークランド・アスレチックス戦でもグッデンに続きメジャー史上2人目となる新人年から3年連続200奪三振達成した前半戦18試合登板で8勝7敗・防御率3.81・WHIP1.27の成績折り返すが、7月26日フィリーズ戦で打球を右肘に受けて退場打撲診断される故障者リスト入りすることなく復帰したが、後半戦15試合登板で6勝5敗・防御率4.81・WHIP1.50と不調に陥る9月14日アストロドームでのヒューストン・アストロズ以降トルネード投法封印し前年ノーヒットノーラン達成試合以来となる終始セットポジションからの投球切り替えた相手3番ジェフ・バグウェル初回先制2ラン浴び7回を奪三振11勝敗付かず降板最終的にリーグ4位の奪三振数を記録するも、チームポストシーズン進出逃すオフには6月から張りがあったという右肘の遊離軟骨除去手術受けた1998年例年よりも1ヶ月早くロサンゼルス入りし、トレーニング開始スプリングトレーニングでは球速が91mph(約146km/h)まで回復するなど球威はあったが制球悪く、計21回を投げ自責点19開幕に不安を残した4月3日レッズ戦ではメジャー自己最多となる7連続奪三振記録したが、18日シカゴ・カブス戦では2/3回を8失点降板メジャー通算100先発となった28日ミルウォーキー・ブルワーズ戦の7回には日本人メジャーリーガー本塁打記録し通算45勝目マークするも、5月9日マーリンズ戦では右手中指のフェイクネイルの圧迫による痛み訴え途中降板5月まで12試合登板で2勝7敗・防御率5.05・WHIP1.40と不調だった

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