ドジャースタジアムの完成
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「1962年のメジャーリーグベースボール」の記事における「ドジャースタジアムの完成」の解説
ブルックリンから移ってきた時に、本拠地球場の予定地を既に購入していたが建設までに紆余曲折を経て、待望のドジャースタジアムが完成した。5万2,564人の座席があり、総工費2,200万ドルをかけて1923年のヤンキースタジアム以来の私費での建設であり、「あたかもアーサー王の居城のごとく訪れた人々はこの球場を見上げて感嘆する」とスポーティングニューズ社が形容するほど超デラックス球場と謳われた。両翼330フィート(100メートル)、中堅395フィート(120メートル)の広さでエベッツフィールドやロサンゼルス・コロシアムに比べて投手に有利な球場と言われた。そのドジャースの投手陣はドン・ドライスデールが25勝(最多勝)と最多奪三振232でサイ・ヤング賞を獲得し、左腕の痺れに悩まされたサンディ・コーファックスは14勝どまりだったが最優秀防御率2.54で、投手王国が完成しつつあった。そしてこの年にドジャースタジアムを訪ねた観客は275万5,184人を数えた。
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