ドジャース、ジャイアンツの西海岸への本拠地移転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 22:38 UTC 版)
「1957年のメジャーリーグベースボール」の記事における「ドジャース、ジャイアンツの西海岸への本拠地移転」の解説
ブレーブスのミルウォーキー移転から、フランチャイズを全米に広げる動きが加速していたが、この年についにブルックリン・ドジャースとニューヨーク・ジャイアンツがカリフォルニア州への本拠地移転を決めた。 前年秋にドジャースのオマリーはエベッツ・フィールドを売却して、そこで得た約300万ドルでロサンゼルスの用地を購入していた。そしてこの年2月20日にロサンゼルスの本拠地権とリグレー・フィールド(当時パシフィックコーストリーグのマイナー球団だったロサンゼルス・エンゼルスの本拠地でシカゴ・カブスの傘下であったが、この購入でドジャースが傘下に収めた)をドジャースがそれまで持っていたフォートワースの本拠地権を売りプラス200万ドルでそれらを買い取った。そして本拠地とするスタジアムの建設に期間を要するため、1932年の夏季五輪のメイン会場(後に1984年の夏季五輪にも使われた)のロサンゼルス・メモリアル・コロシアムをしばらく賃貸することで、1958年からロサンゼルスに移転することを決めた。 そして一方では、ロサンゼルスへの移転だけでは西海岸に1球団だけで日程を組むのが難しいとナショナルリーグが難色を示したため、本拠地ポロ・グラウンズの老朽化と周辺地域の治安悪化と観客動員の減少という同じ悩みに苦しんでいたジャイアンツのオーナーであるホーレス・ストーンハムに誘いをかけた。ストーンハムは当初ジャイアンツをミネアポリスへ移転することを考えていたが、ドジャースがロサンゼルスへの移転を計画していたことを知ってジャイアンツもサンフランシスコへの移転を急遽決めて、レッドソックスが持つサンフランシスコの本拠地権とジャイアンツが持つミネアポリスの本拠地権を交換して、5月28日にナショナルリーグの会議で両球団のカリフォルニアへの移転が了承された。 ドジャースのシーズン最終戦は9月24日に行われ、これが1913年以来45年間使ってきた本拠地ブルックリンのエベッツ・フィールドでの最後の試合となり、シーズン終了後10月8日に正式に両球団の西海岸への本拠地移転が発表された。これでニューヨークからナショナルリーグのチームが無くなった。一方、MLBの原型となる1876年のナショナルリーグ発足以来、82年を経て初めて太平洋に面する西海岸の都市に本拠地を置くチームが同時に2つ誕生することになった。それまでMLBチームの本拠地都市の西端はミシシッピ川の西岸にあるミズーリ州のセントルイスで、そこから経度で西へ約30度、時間帯では2時間遅いサンフランシスコとロサンゼルスでのチーム設立はMLBの空間領域を劇的に拡大し、その後に続く中西部や南部へのチーム移転や全米各地での新球団の設立の先駆けとなった。この両チームの移転については、アメリカを中心とした第二次世界大戦後の世界史を歌詞としビリー・ジョエルの楽曲「ハートにファイア」の中でも取り込まれている。
※この「ドジャース、ジャイアンツの西海岸への本拠地移転」の解説は、「1957年のメジャーリーグベースボール」の解説の一部です。
「ドジャース、ジャイアンツの西海岸への本拠地移転」を含む「1957年のメジャーリーグベースボール」の記事については、「1957年のメジャーリーグベースボール」の概要を参照ください。
- ドジャース、ジャイアンツの西海岸への本拠地移転のページへのリンク