セイルトレーニング
歴史と沿革
セイルトレーニングは1930年前後から「帆船での航海を通じて青少年の人間的成長を支援する海洋教育」として各地で始まりました。日本国内では、1927年にボーイスカウトの前身となる少年団日本連盟・海洋部が、当時北海道大学が所有していた中型帆船「忍路(おしょろ)丸」を借り受け、その後払い下げられた同船を大規模な改装を経て「儀勇和爾(ぎゆうわに)丸」として復活させ、少年団員を中心に広く青少年・教職員を乗せて行った帆走訓練が日本でのセイルトレーニングの始まりであったともいわれています。
その後、職業船員を養成するための練習帆船「日本丸」「海王丸」をはじめ、「進徳丸」「大成丸」など数々の帆船が建造されましたが、第二次世界大戦を境に日本は戦後復興~高度成長期の時代に入ります。そのため、帆船は「時代遅れで無駄なもの」という経済一辺倒の価値基準の中で、見向きもされない存在になってしまいました。
一方、欧米でも1930年代から始まったセイルトレーニングが戦争によって一時中断されたものの、帆船による航海の青少年教育としての価値が高く評価され、民間人が中心になって立ち上げたNPOなどの組織がセイルトレーニングを行い青少年教育の一翼を担い、セイルトレーニング文化を築き上げてきました。(『セイルトレーニング』ジョン・ハミルトン著・大儀見薫訳・小学館発行より)
このような日本と欧米のセイルトレーニングに対する認識のギャップを知り、危機感をいだいた大儀見薫氏は日本国内へのセイルトレーニング導入を目指し、1990年代初めに経済界の要人などに働きかけ、奔走します。 1991年にはポーランドで建造された帆船“ZEW(ゼフ)”を主に民間人の寄附よって購入し、大がかりな改修を施した後、帆船「海星」として運航を開始。同年、日本セイルトレーニング協会を設立し、日本国内に初めてセイルトレーニングの概念を持ち込むことになりました。また、時期を同じくして海洋教育・海事思想の普及に力を入れていた大阪市が、帆船「あこがれ」を1993年に建造。1994年には地方公共団体として初めてセイルトレーニング事業をスタートさせ、教育関係者を中心に市民からの高い評価を受けました。その後も、国内で唯一、誰もが自由に体験できるセイルトレーニングとして事業を継続しており、海洋教育の教育効果を普及発展させる存在として注目されています。
海洋教育としてのセイルトレーニング
帆船の「風の力を活かして航海する」という特性を活かすためには、時々刻々と変化する自然環境の変化を的確に読み取る観察力や想像力、安全で確実な航海を実現するために気象条件などに合わせた的確な判断を下すリーダーシップが必要です。また、船長の指揮下で全員がそれぞれの持ち場の役割や責任を果たすために恐怖心を乗り越えマストに登り、チームで重い帆を広げたり畳んだりという船上作業のなかから責任感や自信が芽生えていきます。さらに、仲間の置かれた状況を思いやり、陰に陽に仲間を支えていく「思いやり」の気持ちが自然に醸成されていくアウトワード・バウンド(冒険訓練)として、海外ではセイルトレーニングの教育効果が高く評価されてきました。
実際の航海では、数名のトレーニーによるチーム編成を行い、風の力を活かして走るための展帆・畳帆作業、ロープワーク、マスト上作業をはじめ航路を設定した上での舵取り、安全確保のための見張り番などの操船のほか、食事当番、船内清掃、船具の修繕作業など日常生活すべてがトレーニングプログラムであり、トレーニーが閉ざされた社会のなかでお互いの意識の壁を乗り越えて社会性を高めていくことにつながっていきます。また、全責任を担う船長の指揮下で規律正しい生活を行うことから集団生活を行う上での規範意識、水や食料など限られた積荷のなかで生活を送ることで倹約意識も無意識に働き、下船後の日常の社会生活を送る上でも良い効果が現れてきます。
しかし、日本国内ではその教育効果が体験してはじめて実感できることから認知される機会も少なく、これまではレジャー性の高いマリンスポーツとして理解されることが多く、教育的効果の高い活動として普及する機会がほとんどありませんでした。そうした背景を踏まえて近年、教育効果が最も顕著に現れる15~20歳の青少年の体験による精神面での成長を、EQ(心の知能指数)を用いて定量的に測定して参加者が確実に精神面での成長を実感できる仕組みづくりを進めると同時に、教育効果を高めるためのトレーニングプログラムの体系化が図られつつあります。
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