教育的効果
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 08:54 UTC 版)
昆虫採集は、昭和後期までは、児童生徒の夏の宿題の定番であった。虫を追っかけるのは、半ば子供の本能みたいなものでもあり、標本にして名前を付ければ、自然観察や理科の勉強にもなるわけで、大いに奨励もされ、駄菓子屋には昆虫採集セットが販売されていた。ちなみにその中身は、よくわからない毒液(実際には食用色素で色をつけたただの水という例もあった)やら、注射器やらメスやら、実際の昆虫採集には向かないものも多かった。それでも、そのような物から科学への関心を持ち、本気で科学者や研究者を目指した者は、少なくないはずである[誰?]。 しかし、昭和50年頃から、昆虫採集を奨励しない方向へ、理科の指導が変わってきた。一つは昆虫採集は虫を殺すから野蛮だというものであり、もう一つは採集、標本作りは科学ではない、むしろ観察をするのが大事だと言うものであった。また、子供が学習のために製作した標本の多くは、永久保存用として市販されている昆虫針や標本箱を使用していないため、製作後は針からさびが出たり、害虫(カツオブシムシやコナチャタテなど)に食い荒らされたりして、せっかく作った標本が無駄になって終わることも問題視された。また都市化が進んでだことなどで昆虫採集をする子供は減り、昆虫採集キットを売っているのを見ることもなくなってしまった。この風潮に煽られる形で昆虫採集を好む子どもに対していじめが行われたり、それを一部の教師が助長する局面もあったことすら報告されている。現在でも、自然観察教室などでは、採集は避け、観察しようと指導しているところもある。夏休みの自由研究等においても、昆虫採集は(貝類標本、植物採集もであるが)作品数を減らしてしまった。 一部では、このことが現在問題になっている子供たちの理科離れの一因になっているのでは、と言うものもある[誰?]。まず実際の生き物に触れなければ、そこから先の関心や問題意識が生まれるはずはない。そのための入り口として、昆虫採集は手軽で有益なものだ、と言うのである。ただし、再度昆虫採集を奨励するにしても、元々昆虫に本格的な関心が向いていない子供に昆虫採集を義務的に奨励しても、興味がなくなったり虫がわいたりして無駄に死蔵、廃棄されたりする標本のみ増えることにつながるため、児童個々人の理科学的な関心の向いている方向に応じたオプションのひとつとして、昆虫採集が用意されるという状態が望ましい。
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