教育的見解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 00:26 UTC 版)
教師として、かれはアメリカの小学校を「好ましくない環境にある」と考えるようになった。教室が一つだけの校舎に学齢がまちまちな児童が70人以上詰め込まれており、教師は訓練を受けておらず、机も配置されてなかった。しかし、ウェブスターが一番の問題としていたのは教科書だった。数が十分でない上に、イギリスの教科書を使用していたのである。かれは保守主義に基づいて「アメリカ人はアメリカの教科書で学ぶべき」と考え、3冊で構成された教科書 A Grammatical Institute of the English Language を書き始めた。これはスペラー(綴字法・1783年出版)、グラマー(文法・1784年出版)、リーダー(読本・1785年)から成る。子供を教育するアプローチとして、他でもないアメリカ流で、かつキリスト教主義を中心にすえたものを提供するのを目的としていた。 スペラーのそもそものタイトルは The First Part of the Grammatical Institute of the English Language といった。1786年に The American Spelling Book に変更され、さらに1829年、The Elementary Spelling Book に変更された。その青いカバーから The Blue-Back Speller (『スペリングの青本』)と呼ばれ、以後100年にわたり、ウェブスターの教科書が子供たちにどう読み、どう書き、どう発音するかを教えることになる。当時もっとも広く使われたアメリカの教科書であり、1861年までには年間の販売数が100万部に到達し、1部につき1セント未満の印税でありながら、さらなる仕事を進めるウェブスターの十分な収入源となっていた。ベンジャミン・フランクリンでさえ、孫娘に本の読み方を教える際にウェブスターの教科書を使っている。アメリカで最初に編まれた辞書であるともいわれる。また、スペリング・ビーという大衆的な書き取り競技を生み出すのに一役買った。 なお、ウェブスターの本の海賊版が出版され、他方著作権はといえば13の州で内容の異なるという有様で、それを見かねたウェブスターが制定を主張した連邦著作権は、1790年に議会を通過した。
※この「教育的見解」の解説は、「ノア・ウェブスター」の解説の一部です。
「教育的見解」を含む「ノア・ウェブスター」の記事については、「ノア・ウェブスター」の概要を参照ください。
- 教育的見解のページへのリンク