キハ41000形の設計を流用して製造された気動車とは? わかりやすく解説

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キハ41000形の設計を流用して製造された気動車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/15 08:17 UTC 版)

国鉄キハ04形気動車」の記事における「キハ41000形の設計を流用して製造された気動車」の解説

鉄道省標準型気動車として量産されキハ41000形には、鉄道省自身の手になるキハ40000形の他、下記各社に、その設計流用して製造され姉妹車と呼ぶべき車両存在した鉄道省樺太鉄道局 樺太庁鉄道キハ2000形として窓配置(1) BD (1) 11 (1) D1(D:客用扉、B:荷物室扉、(1)戸袋窓)とした旅客荷物合造車1933年昭和8年)・1934年昭和9年)に汽車製造東京支店2001・2002)と日本車輌製造東京支店 (2003) で製造したキハ41000形との変更点は、車体側面窓幅が700 mmと広いこと、室内ロングシート冬季には一部座席外して石炭ストーブ取付けるようになっており、屋根上にはその煙突設置されベンチレーターが6箇所となっていたこと、機関ウォーケシャ6RBとなるなど、アメリカ製機関・駆動系搭載し、動台車軸距850 + 1,250 mm偏心式であることなどであったまた、汽車会社製のものは台車が下揺と端付き日本車輌製造製のものは動軸に砂撒管付き正面運転台前の窓に旋回窓設置してあるなどの差異もあった。樺太内地編入にともない鉄道省キハニ2000形となる。 津軽鉄道配置1D (1) 11 (1) D1(D:客用扉、(1)戸袋窓)とし、客用扉幅を900 mm, 側面窓幅を700 mmそれぞれ拡大車体長500 mm短縮するなどしたキハ2400形2402・2403を1950年昭和25年)に新潟鐵工所製造した室内はオールロングシート、連結器座付自動連結器機関日野DA55で当初は代燃ガス発生装置付で、変速機逆転機ギア比キハ41000形とは異なっていた。 羽後鉄道 旧日鉄道の雑形客車台枠と、手持ちTR29台車用いて1950年昭和25年)に宇都宮車両キハ1形1として本形式のほぼ同型車製造した室内ロングシート機関日野DA54改で変速機逆転機ギア比キハ41000形とは異なっていたが、1957年昭和32年)の車庫火災焼失廃車解体された。 小名浜臨港鉄道 新宮鉄道買収気動車車体更新名目で、1953年昭和28年)に日本車輌製造東京支店にてキハ41600形相当のキハ103新製関東鉄道常総線北九州鉄道ジハ20台車流用日本車輌製造東京支店にてキハ41600形相当の車体新製し、キハ41020形41021として使用した室内ロングシート台車汽車会社製で動台車750 + 1,150 mm偏心式の端付き台車機関日野DA54で変速機逆転機ギア比キハ41000形とは異なっていた。 五日市鉄道 1936年昭和11年)にキハ41000形ベース前面のみキハ42000形と同形のものに変更したキハ500形501502新潟鐵工所製造した詳細五日市鉄道キハ500形気動車の項を参照同和鉱業片上鉄道 1953年昭和28年)にキハ04同様の基本設計によるキハ3004・3005を宇都宮車両新造1967年昭和42年)にキハ310形311312改番した。長用いた張り上げ屋根乗務員扉の設置正面2枚窓など、国鉄キハ04形準じていながら随所オリジナル要素加えられていた。機関戦後製ながら当初GMF13であったが、変速機逆転機ギア比キハ41000形とは異なっていた。キハ3111985年昭和60年)に廃車後個人引き取られ静態保存されている。また、キハ3121991年平成3年7月1日鉄道廃止まで旅客営業使用され鉄道廃止後は柵原ふれあい鉱山公園動態保存及び展示運転されている。 中国鉄道 燃料統制始まった1937年昭和12年)に、商工省規制回避すべく、一旦3両分申請認可後に、1両の追加申請を「増車扱いとして改め受理するという、会社鉄道省示し合わせ一種回避策用いることで、日本車輌製造加藤車両川崎車輌の3社でキハニ190190, キハニ200形200201, キハニ210形210として同時に4両を新製した。これらは軸距850 mm + 1,250 mm偏心台車を動台車として装着したキハニ210形除き車体・台車はほぼ完全にキハ41000形相当であったが、機関・駆動系エンジンウォーケシャ6RB, 変速機コッターFA, クラッチロング34Aと、中国鉄道気動車標準仕様に従って全てアメリカ製機器採用されていた。これらは国有化後、キハニ190除き私鉄各社払い下げられそれぞれ岡山臨港鉄道キハ3001(キハニ200)、倉敷市鉄道キハ310(キハニ201)、長門鉄道キハ10(キハニ210)→防石鉄道キハ103島原鉄道キサハ211ユニ211となった。なお、キハニ190その後長く国鉄残留し1949年昭和24年)に雑形客車としての形式与えられ保健車コヤ6680となり、更に1953年昭和28年)の形式改定コヤ2600改番され、1968年昭和43年)まで釧路機関区配置され使用された。 山鹿温泉鉄道 国鉄乗り入れ用として1951年昭和26年)にキハ1形1・2新潟鐵工所新製。同じメーカーの手になる津軽鉄道キハ2402・2403と同様、窓配置1D (1) 11 (1) D1(D:客用扉、(1)戸袋窓)で側面窓幅700 mm, 客用扉幅900 mmで、低いホーム対応するため客用扉と戸袋窓部の下部大きく下がり、2段ステップ備えているのが特徴であった室内クロスシート3ボックスロングシート組み合わせ機関日野DA55Aで変速機逆転機ギア比キハ41000形とは異なっていた。予備車がない運用のため、1957年7月水害による国鉄直通途絶までは、予備エンジン用意して夜間換装することでフル稼働した。路線廃止後にメーカー新潟鐵工所引き取られており、同社大山工場改装工事施工中1965年撮影写真残っている。同社同時期に類似車を納入していた津軽鉄道への転売目的したものとされるが、経緯不明ながら頓挫そのまま解体されたと見られている。

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