オーストロファシズムとは? わかりやすく解説

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オーストロファシズム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/30 16:16 UTC 版)

オーストロファシズムドイツ語: Austrofaschismus)とは、1934年に始まり、1938年ナチス・ドイツに併合されるまで続いたオーストリアでのファシズム運動である。

概要

イタリア王国ベニート・ムッソリーニをモデルとした独裁体制が特徴として挙げられる。首相エンゲルベルト・ドルフース1934年に暗殺されたが、1938年まで軍事政権が続いた。ドイツに併合されるまで、オーストリアでは反ユダヤ主義は滅多に見掛けられなかった。1929年ウォール街での大暴落に対する対抗処置として、市場経済に対しても国家統制を強めた。オーストロファシズムに於いて、カトリック教会は大きな役割を果たし、国教として認定された。その理由として、プロテスタンティズムに迎合する訳には行かないとか、共産主義よりマシだったという認識が共有されていた事が挙げられる。この点に於いて、オーストロファシズムはナチス・ドイツと利害が対立していた。文化についてもオーストロファシズムはフランス革命前のバロック芸術を賞賛し、近代芸術を「文化ボルシェヴィズム」だと罵倒した。ドルフースが党首を務めていたキリスト教社会党は現在でもオーストリア国民党として存続している。

関連項目


オーストロファシズム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 07:34 UTC 版)

クルト・シュシュニック」の記事における「オーストロファシズム」の解説

1934年7月25日、ドルフースがオーストリア・ナチス暗殺されると、シュシュニック7月29日後任として首相に就任し、オーストロファシズムと呼ばれる独裁体制構築した。ドルフースが実施した国民議会停止社会主義者への弾圧継続し9月までの間に1万3,338人の政治犯逮捕しさらには経済統制実施したまた、1935年には「オーストリアの評判保護のための連邦法」を制定し海外メディア報道統制し1936年10月には護国団解散したシュシュニックはドルフースと同様にナチス嫌悪しており、カトリック保守的なイタリアベニート・ムッソリーニ依存していたが、第二次エチオピア戦争イタリア国際的に孤立すると、ナチス・ドイツアドルフ・ヒトラー圧力増してきた。そのため、1936年7月11日ドイツとの間で7月合意ドイツ語版)を締結しドイツからオーストリア主権認めさせたが、見返りとしてオーストリア・ナチス政治参加承認しドイツ寄りのエドムント・グライズ=ホルシュテナウ(ドイツ語版)、グイド・シュミット(ドイツ語版)を無任所大臣外務大臣として入閣させた。これにより、オーストロファシズムは崩壊始めシュシュニック政権危機感募らせていく。

※この「オーストロファシズム」の解説は、「クルト・シュシュニック」の解説の一部です。
「オーストロファシズム」を含む「クルト・シュシュニック」の記事については、「クルト・シュシュニック」の概要を参照ください。

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