オーストリア・マルクス主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/14 13:17 UTC 版)
オーストリア・マルクス主義(オーストリア・マルクスしゅぎ / 独:Austro-marxismus)は、19世紀末から第一次世界大戦前後の時期までのオーストリア(オーストリア=ハンガリー二重帝国)で活動したマルクス主義の一派である。
- ^ 良知力「オーストリア・マルクス主義」。
- ^ 小沢弘明「オーストリア・マルクス主義」。「赤いウィーン」は社会民主党が市政を掌握していた1919年から1934年までのウィーンをさす。
- ^ ただし、修正主義との違いはそれほど明確ではなく、オーストリア・マルクス主義も新カント派によってマルクス主義を「補完」しようとした、という評価もある(安世舟・新明正道)。
- ^ 良知力、前掲。
- ^ ただしレンナーが民族問題における属人主義原理を重視(のちに一元化)して「文化的自治」の表現を取らなかったのに対し、バウアーは属地主義原理と属人主義原理の相互補完を主張した。塩川伸明 『民族とネイション』、p.63。
- ^ ただしバウアー自身はユダヤ人への自治付与を否定している。丸山敬一『マルクス主義と民族自決権』、p.187。
- ^ 小沢弘明「オーストリア・マルクス主義」『世界民族問題事典』。
- ^ 倉田稔「レンナー」、p.146。
- ^ オーストリア・マルクス主義を「労働運動統一のイデオロギー」と規定したバウアーは、のちにこの思想的潮流の起源を、1889年のハインフェルト党創立大会におけるV・アドラーによる党の統一への努力に求めている(酒井晨史)。
- ^ 以上、ブラウンタール『社会主義への第三の道』第2章。
- ^ 安世舟「社会民主主義」。
- 1 オーストリア・マルクス主義とは
- 2 オーストリア・マルクス主義の概要
- 3 概要
- 4 沿革
- 5 再評価
- 6 関連項目
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