デア・カンプフ_(オーストリアの雑誌)とは? わかりやすく解説

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デア・カンプフ (オーストリアの雑誌)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/08 16:07 UTC 版)

デア・カンプフ
カテゴリ 政治雑誌
刊行頻度 月刊
発行者 Verlag der Wiener Volksbuchhandlung
創刊年 1907年
創刊号 1907年10月
最終号 1938年
オーストリア=ハンガリー帝国 オーストリア
拠点 ウィーンプラハブルノ
言語 ドイツ語
OCLC番号 1716851
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デア・カンプフ』(Der Kampf、「闘争」の意)は、1907年から1938年にかけて発行されていた政治雑誌。当初はウィーンで、後にはプラハ、さらにブルノで発行された。オーストリア社会民主労働党の理論誌とされており[1]、副題として「Sozialdemokratische Monatsschrift社会民主主義月刊誌)」を掲げていた[2]日本語では、『カンプ』として言及されることもある[1]

沿革

『デア・カンプフ』は、オットー・バウアーアドルフ・ブラウンドイツ語版カール・レンナーら、オーストリア・マルクス主義の立場の人々によって、1907年10月に創刊された[3][4]。この雑誌は、カール・カウツキーが創刊していた『ディー・ノイエ・ツァイト(新時代)』に範を取っていた[4]。雑誌のおもな目的は、理論問題や、オーストリアにおける労働運動に関する諸問題について、議論の場を提供することであった[5]。『デア・カンプフ』は、近代科学社会調査手法を支持する立場をとった[6]

『デア・カンプフ』の編集陣には、オットー・バウアー、アドルフ・ブラウン、カール・レンナーらが加わっていた[2][7]。この雑誌は、1934年2月に発禁処分とされるまで、ゲオルク・エマリンクドイツ語版によってウィーンで月刊誌として発行されていた[2][7][8]

1934年から1938年にかけて、『デア・カンプフ』は、非合法出版物として刊行され[2]、初めはプラハ、後にはブルノに拠点を置いていた[7]

内容と寄稿者たち

1933年2月、『デア・カンプフ』は、社会民主主義についてのフリードリヒ・アドラーカール・カウツキーの間のやり取りを掲載した[9]。この雑誌へのおもな寄稿者の中には、マックス・アドラー英語版フリードリヒ・アウステルリッツドイツ語版ロベルト・ダンネベルク英語版ユリウス・ドイッチ英語版ウィルヘルム・エレンボーゲンドイツ語版ルド・モリッツ・ハルトマン英語版ルドルフ・ヒルファディングエンゲルベルト・ペルネルシュトルファードイツ語版パーヴェル・アクセリロードアウグスト・ベーベルエミール・ヴァンダーヴェルデ英語版らがいた[2]レオン(レフ)・トロツキーテロリズムについての短い記事も、『デア・カンプフ』には掲載された[2]オットー・バウアーは、通算して 152本の記事を寄稿し、その大部分は、国内、国際の政治問題や、国際的な労働者運動と社会民主党の面倒な問題に関わる内容であった[5]。バウアーは、数多くの変名を使っており、カール・マン (Karl Mann) とか、ハインリッヒ・ウェーバー (Heinrich Weber) などとも名乗っていたが、実名でも寄稿していた[5]。マックス・アドラーが書いた記事の一つは、失業労働者階級階級意識に及ぼす影響について論じたものであった[10]

ユリウス・ブラウンタール英語版は、『デア・カンプフ』の編集陣に加わっていたひとりであった[11]。彼は、記事の執筆もおこない、ベニート・ムッソリーニ国家ファシスト党による大規模な組織的デモ活動クーデターであったローマ進軍直後の1922年11月に、「Der Putsch der Fascisten(ファシストのクーデター)」と題した記事を寄稿した[12]

脚注

  1. ^ a b 上条勇「オーストリア革命とオーストロ・マルクス主義 -オットー・バウアーを中心に-」『金沢大学教養部論集. 人文科学篇』第23巻第1号、1985年8月31日、24頁、CRID 1050001335998086272。「1927年のオーストリア社会民主党理論誌『カンプ』(DerKampf)における論文「アンシュルス政策の変遷と諸問題」で,パウアーは...」 
  2. ^ a b c d e f Eric C. Kollman (1970). “Book review”. Austrian History Yearbook 6: 423–425. doi:10.1017/S0067237800010729. 
  3. ^ Leonardo Rapone (2010). “Bauer, Otto”. In Silvio Pons; Robert Service. A Dictionary of 20th-Century Communism. Princeton, NJ: Princeton University Press. p. 45. ISBN 9781400834525. https://muse.jhu.edu/book/100404 
  4. ^ a b Astrid von Busekist (2019). “After Empire: Karl Renner's Danubian model of pluralism”. Nations and Nationalism 25 (2): 547. doi:10.1111/nana.12464. 
  5. ^ a b c Ewa Czerwińska-Schupp (2017). Otto Bauer (1881–1938). Thinker and Politician. 121. Leiden; Boston: Brill. p. 15. ISBN 978-90-04-32583-8. JSTOR 10.1163/j.ctt1w76v3b. https://www.jstor.org/stable/10.1163/j.ctt1w76v3b 
  6. ^ Joseph Malherek (2022). Free market socialists. European émigrés who made capitalist culture in America, 1918–1968. Budapest; Vienna; New York: CEU Press. p. 22. ISBN 978-963-386-447-0. https://ceupress.com/book/free-market-socialists 
  7. ^ a b c Otto Bauer (2000). The Question of Nationalities and Social Democracy. Minneapolis, MN; London: University of Minnesota Press. p. 462. ISBN 978-0-8166-3265-7. https://books.google.com/books?id=WaovFNJGG2EC&pg=PR462 
  8. ^ Anton Holzer (2019年3月16日). “"Der Kuckuck", Sprachrohr des "Roten Wien"”. Wiener Zeitung. https://www.tagblatt-wienerzeitung.at/nachrichten/reflexionen/vermessungen/2001566-Der-Kuckuck-Sprachrohr-des-Roten-Wien.html?em_cnt_page=2 2023年7月6日閲覧。 
  9. ^ Melvin Croan (November 1959). “The Politics of Marxist Sovietology: Otto Bauer's Vision”. The Journal of Politics 24 (1): 588. doi:10.2307/2126856. JSTOR 2126856. 
  10. ^ Charles H. Clavey (2021). “Resiliency or Resignation: Paul F. Lazarsfeld, Austro-Marxism, and the Psychology of Unemployment, 1919–1933”. Modern Intellectual History 18 (1): 166. doi:10.1017/S1479244319000192. 
  11. ^ Joyce Tsai (2005). “Der Kuckuck and the problem of workers' photography in Austria”. History of Photography 29 (3): 275. doi:10.1080/03087298.2005.10442802. 
  12. ^ Gerhard Botz (October 1976). “Austro-Marxist Interpretation of Fascism”. Journal of Contemporary History 11 (4): 130. doi:10.1177/002200947601100408. 

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