哲学:新カント派哲学の導入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/29 17:10 UTC 版)
「オーストリア・マルクス主義」の記事における「哲学:新カント派哲学の導入」の解説
オーストリア・マルクス主義は必ずしも哲学の分野においては一枚岩ではなく、例えばM・アドラーやバウアーが新カント派哲学に依拠して社会科学の認識論的位置づけをめざしたのに対し、F・アドラーのように新カント主義に反対しマッハ主義の立場に立つ者もおり、バウアーものちにはマッハ主義に転向した。しかし、この集団のなかで特に哲学上の中心的存在となったのはM・アドラーであった。彼はカントの認識批判に基づいてマルクス主義から世界観的な要素を切り離し、それを「社会に関する一つの厳密な科学」としてとらえ直そうと努力しながらも、他方、カントの認識論・倫理学をもってマルクス主義を補完しようとしたベルンシュタイン派の修正主義に対しては批判を加えた。この結果、カントの認識論に依拠しつつマルクスによって示された歴史図式を維持しようとするM・アドラーの立場は、一方では社会主義への発展を歴史的必然として受け入れながら、他方では一切の革命的行為を拒否する待機主義におちいったとされる。
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