エルグレコとは? わかりやすく解説

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エル‐グレコ【El Greco】

読み方:えるぐれこ

[1541ころ〜1614]《ギリシャ人の意》スペイン画家本名はドメニコス=テオトコプーロス(Domenikos Theotokopoulos)で、ギリシャ生まれ劇的な構図明暗構成細長く様式化された人物像などにより、独自の宗教画多く残した。作「オルガス伯の埋葬」。


エル・グレコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/19 14:27 UTC 版)

エル・グレコ(El Greco、1541年 - 1614年4月7日[1])は、現在のギリシアクレタ島イラクリオ出身の画家。本名はドミニコス・テオトコプロスΔομήνικος Θεοτοκόπουλοςラテン文字転写:Dominikos Theotokopoulos)で、一般に知られるエル・グレコの名は、スペイン来訪前にイタリアにいたためイタリア語で「ギリシャ人」を意味するグレコにスペイン語の男性定冠詞エルがついた通称である[2]マニエリスム後期の巨匠として知られる。マドリードにあるプラド美術館には、グレコの作品が多数展示されている。


注釈

  1. ^ 1570年11月のアレッサンドロ枢機卿宛ての書簡でエル・グレコを「若いカンディア出身の画家でティツィアーノの弟子」と紹介、「落ち着くまで宮殿内の一室が提供されるよう」記されている[4]
  2. ^ mecenatというフランス語で、文化擁護やその支援を意味する。
  3. ^ サン・ルッカ美術アカデミーとも記されている。
  4. ^ vidaの後かpincelesの後のどちらに句点を置くかについては、2012年時点で不明確である[22]
  5. ^ 1580年代末期にグレコが書き込んだとされる[25]
  6. ^ グレコがウィトルウィウス建築書に書き込みを行ったのは、1590年代初頭と考えられている[25]
  7. ^ 古代の文献で文中の記述のみから芸術家が再現することをいう[27]
  8. ^ グレコは若いころギリシア正教に所属しており、後にローマ・カトリックに改宗したと考えられている[37]
  9. ^ グレゴリオ・マラニョン英語版という医師もこの説を支持した。

出典

  1. ^ ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説”. コトバンク. 2018年2月12日閲覧。
  2. ^ 大高 2012, pp. 134–135.
  3. ^ 神吉 1997, pp. 125–126.
  4. ^ a b c d e f g h i マリーアス & 松原 2008, pp. 7–9
  5. ^ Greco et al. 2012, p 135. (第4章 近代芸術家エル・グレコの祭壇画:画家、建築家として)
  6. ^ Panagiotakes et al. 2009, p. 12.
  7. ^ 大高 & 松原 2012, pp. 6–7.
  8. ^ a b ハジニコラウ 2012, p 170.
  9. ^ Constantoudaki, Marie; Blunt, Anthony (1975), Domenicos Theotocopoulos (El Greco) de Candie a Venise: Dicuments inédits (1566-1568), Benetia: Hellenikon Institouton Benetia, pp. 292-308, OCLC 431320480 
  10. ^ 大高 & 松原 2012, p. 14.
  11. ^ a b 大高 & 雪山 1992, p. 35
  12. ^ Paul Brill; Francisco Goya; Greco; 愛知県美術館; 東武美術館; 横浜美術館; 横浜美術館学芸部『バロック・ロココの絵画: ヴェネツィア派からゴヤまで リール市美術館所蔵』朝日新聞社、1993年、34頁。 NCID BN09889898 
  13. ^ 大高 & 松原 2012, p. 17.
  14. ^ Davies, David; Elliott, John; Finaldi, Gabriele (2003), El Greco, London: National Gallery, p. 82, ISBN 978-1-85709-933-1 
  15. ^ ハジニコラウ 2012, p 175.
  16. ^ サルヴァスタイル美術館
  17. ^ 大高 & 雪山 1992, p. 34.
  18. ^ Greco et al. 2012, pp. 150-151.(第4章 近代芸術家エル・グレコの祭壇画:画家、建築家として)
  19. ^ a b ハジニコラウ 2012 p 177.
  20. ^ El Greco in Toledo”. kaiku.com. 2011年8月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年8月20日閲覧。
  21. ^ a b 大高 & 松原 2012, p. 6.
  22. ^ Greco et al. 2012, p 9.
  23. ^ 画家の墓 世界恩人巡礼大写真館 画家(海外)コーナー PART2”. 文芸ジャンキー・パラダイス. 2016年5月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年5月26日閲覧。
  24. ^ 大高 & 松原 2012, p. 16.
  25. ^ a b 岡田裕成「エル・グレコ、歴史意識、マニエラ」『エル・グレコ再考 1541―2014年:研究の現状と諸問題』(国際シンポジウム議事録)』第2013-06号、スペイン・ラテンアメリカ美術史研究会、東京、51頁。 
  26. ^ a b マリーアス 2012, p 8.
  27. ^ a b 越川倫明「《燃え木を吹く少年》をめぐって――エル・グレコと同時代ヴェネツィア絵画」『エル・グレコ再考 1541―2014年:研究の現状と諸問題』(国際シンポジウム議事録)』第2013-06号、スペイン・ラテンアメリカ美術史研究会、東京、29頁。 
  28. ^ Greco; 中日新聞社; 国立西洋美術館; 奈良市; 奈良県立美術館; 愛知県美術館; 東京新聞; 東海テレビ放送 著、国立西洋美術館 編『エル・グレコ展』東京新聞、1986年、14頁。ASIN B00HKQUSOKNCID BN05202609 
  29. ^ * 西武美術館; 朝日新聞社 著、西武美術館 編『スペイン美術展〈1〉16・17世紀エル・グレコ、ベラスケスの時代』西武美術館、東京、1985年、142頁。ASIN B000J6L48W 
  30. ^ Panagiotakes et al. 2009, p. 56.
  31. ^ the Frick Collection
  32. ^ 諸星妙「フェリペ三世時代のスペインのコレクション:静物を主題とする絵画の成立と発展」『美術コレクションを読む』、慶應義塾大学出版会、東京、2012年、307-330頁、ISBN 978-4-7664-1988-7 
  33. ^ a b 大高 2013, p. 1
  34. ^ 大高 2013, p. 4.
  35. ^ a b c d e f g h i j 大高 & 松原 2012, p. 69.
  36. ^ 孝岡睦子「『エル・グレコ神話』の一断片-パブロ・ピカソの作品を中心に」『美術史論集』第6巻、神戸大学美術史研究会、兵庫、2006年、75頁、doi:10.24546/81010381NAID 1200064884892020年4月7日閲覧 
  37. ^ マリーアス 2012, p 10.
  38. ^ 瀬戸慶久「エル・グレコの作品解釈の背景(分科会第三部会<音楽史学部門>, 美学会第九回全国大会研究発表)」『美学』第9巻第3号、美学会、東京、1958年、47-49頁、doi:10.20631/bigaku.9.3_47ISSN 05200962NAID 1100037150802020年4月7日閲覧 
  39. ^ 吉川逸治「作家論:エル・グレコの芸術」『エル・グレコ』、世界美術全集第14巻、集英社、92頁、1980年10月1日。 NCID BN0163612X 
  40. ^ 大高 & 松原 2012, p. 103.
  41. ^ エル・グレコ(本名ドメニコス・テオトコプーロス) 十字架のキリスト 所蔵作品検索|国立西洋美術館
  42. ^ 『スペイン美術鑑賞紀行』 1(マドリード・トレド編)、美術出版社〈美術の旅ガイド〉、1995年、77頁。ISBN 978-4-1408-0013-3NCID BN14222935 



エル・グレコ

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スペイン黄金時代美術」の記事における「エル・グレコ」の解説

エル・グレコは、フェリペ2世時代で最も重要な芸術家であり、後期マニエリスム代表的存在である。本名はドメニコス・テオトコプーロスであり、エル・グレコはイタリア語で「ギリシャの」という意味のグレコに、スペイン語定冠詞がついたものである。1541年ヴェネツィア共和国支配下にあるクレタ島生まれ現地色濃く残るビザンティン美術伝統継いだヴェネツィア渡り以後イタリア各地渡り歩きながらイタリアルネサンス絵画の技法習得し、特にティツィアーノティントレット代表されるヴェネツィア派絵画傾倒し自らの画風確立する。彼は正確な理由不明だが(一説によると神のように崇められていたミケランジェロ酷評したためともローマ去り1577年にはトレドにいた。イタリアのように画家地位高くないスペインでの生活彼にとって厳しく、またエスコリアル宮の祭壇画フェリペ2世は気に入らず飾られなかった。絶え注文主との金銭的なトラブルにあった拠点置いたトレド中心に活躍し1614年亡くなった。そのためトレド教会多く傑作残っている。代表作は『オルガス伯の埋葬』。 エル・グレコのビザンティン美術流れを汲む奇抜な構成は、理解者恵まれなかったとはいえ一定の評価がされていた。しかし彼の晩年にはバロック絵画隆盛によってマニエリスム美術は古いとされ少しずつ忘れ去られていった再評価20世紀を待たなければならないが、その個性スペイン美術スペイン語版)において名実ともに最大巨匠ひとりである。

※この「エル・グレコ」の解説は、「スペイン黄金時代美術」の解説の一部です。
「エル・グレコ」を含む「スペイン黄金時代美術」の記事については、「スペイン黄金時代美術」の概要を参照ください。

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