絵画の技法
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「マンチェスターの聖母」の記事における「絵画の技法」の解説
本作品は未完成であるため、ミケランジェロの技術を実際に確認することができる。左側の天使は衣服のひだの線と緑色の下塗りでかろうじて描写されている。ひだの線は準備図をパネルに移した際のものである。緑色の下塗りはピンクがかった肌の色調とのバランスをとるために使用された伝統的な中央イタリアのテンペラ画の技法で、ミケランジェロは成熟するにつれて次第にこの技法を放棄していく。絵画が完成すると見えにくくなる卵テンペラの技法は聖母のマントをモデリングするハッチングの筆遣いで明瞭である。卵テンペラの絵具は急速に乾くため、絵画の表面で混ぜることができず、異なる色調と色の濃淡、明暗を1つ1つ混ぜ、ハッチングや点描といった筆遣いで塗る必要がある。絵画はこうした大変に根気のいる作業をともなうテンペラ技法をミケランジェロが完璧に習得していることを明らかにしている。特に注目されるのは画面右端の天使の肩や背中から生えている羽毛と、キリストのはためくチュニックの縁であり、これらの点は卵テンペラでは達成するのが困難なきわめて繊細な効果を発揮している。
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絵画の技法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 05:08 UTC 版)
「メインデルト・ホッベマ」の記事における「絵画の技法」の解説
ホッベマとロイスダールの絵画のスタイルはかなり似ていて、いまだにホッベマとロイスダールの作品は異なる点もあるがはっきり区別するのが難しい。ホッベマを真似た画家や先行するイサーク・ファン・ロイスダール(Isaack van Ruisdael:1599-1677)、ヒリス・ロンバウツ(Gillis Rombouts:1630-1678)、ルーロフ・ヤンスゾーン・ファン・フリース(c.1631-1681/1701)、コルネリス・ヘリッツゾーン・デッケル(c.1618–1678)、ヤン・ローテン(Jan Looten: 1618–c.1681)、アドリアーン・ヘンドリクスゾーン・フェルブーム(Adriaen Hendriksz. Verboom)、ギョーム・デュ・ボア(Guillam du Bois)、ヤン・ファン・ケッセル、ヨリス・ファン・デル・ハーヘン(c.1615-1669)、フィリップス・コーニンク(1619-1688)さえも僅かな違いしかないので、ホッベマの作品を選び出すのに躊躇を覚えるくらいである。 ホッベマは自らの工房での鍛錬において全ての着想を乗り越えることに勤勉であった。ホッベマが樹木と生け垣、水たまりと水車のような物言わぬ実物をとらえて完全に習得したように誰もが完全に描けるとは信じがたい。それともGuerdersやオランダの国境付近のウェストファリアで言われるようにホッベマが同じ場所に住んでいることによって神秘的な能力を得たというのも信じがたい。ウェストファリアのある国境地帯で毎日のようにホッベマがさまざまな光の当たり方をみながら木の枝を観察し季節によって移り変わるうっそうと木々に囲まれた木陰の小屋や水車で全てを学んだのかも知れない。 ホッベマの描く風景は激しいものや穏やかなもの双方あるが、一般的にはオリーブ色の色調が中心で、しばしば「清教徒的な灰色」(puritanical grey)と呼ばれる色ないし小豆色が用いられ調和を保っている。ホッベマの絵画には樹木のさまざまな葉のつき方を表現するのみならず、大胆なタッチと細やかな仕上げがなされ目をみはらせる。特に驚かされるのは、雲を透過する弱い光が一時的にないしは確実に大地の異なる部分を照らし、木の葉を透過した光が別の木の葉を照らす様子などで、このような光が透過して別の場所を照らすような表現はホッベマの作品のなかには、繰り返し見られるものである。ロンドンのウォレス・コレクションにある「農家のある森の風景」(Wooded Landscape with Farmhouses)では、手前中央やや左にある道はしばらくはやや右上に向かって流れる川に沿って平行に走っているが、やがて右側に屈曲し木立のなかにある画面右端の家へ向かって続いていく。画面手前と川の対岸には日が当たっているが、画面の右側は薄暗いという全体的な明暗の対比があり、影になっている部分にも草や幹などに木々の隙間から漏れたと思われる日光が当たっており、その光の当たり方も画面の中で微妙に異なって絶妙な明暗の対比と立体感が表現されている。 ホッベマには、ロイスダールのような多才さはなく、たとえば高原や岩でできた小高い丘陵、急流や入り江などの表現についてはロイスダールほどは研究しなかったので、ロイスダールに次ぐ評価をされる。しかし、優れた風景画家であることは間違いなく、機会さえあれば、ホッベマは、小さな小屋の近くにある水溜りやゆったり流れる大河の水面にあらゆるものが映っている表現や水車をいそがしく回すような渦巻く川の流れの表現をみごとに描ききったであろうし、そのような場所があれば、複数の作品を残したように思われる。ホッベマの描くひとつの水車は彼の絵を見る者を魅了してやまない。 ホッベマは、非常に貧しい生活を送り、亡くなった。そのため彼の住んだ場所には美術史的に彼のことを位置づけられるような年代資料は残らなかった。またホッベマ自身の自画像も残っていない。
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