アフリカ現地調査へとは? わかりやすく解説

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アフリカ現地調査へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 14:12 UTC 版)

前野ウルド浩太郎」の記事における「アフリカ現地調査へ」の解説

博士研究員 (いわゆるポスドク) 3年目迎えた2011年前野日本学術振興会海外特別研究員審査通過した。これにより年間380万円支給受けて2年間のモーリタニア現地調査機会を得ることとなる。この決断は後に「人生をかけたギャンブル」とも評されたが、当時室内研究主流であり、サバクトビバッタ野外観察はほとんど行われていなかったことから、新米研究員自分でも楽に新発見論文発表できるのではないか、との勝算前野にはあった。しかし現地出立1か月前に東日本大震災日本襲い東北出身前野多く知人被災した自身モーリタニア渡航滞在費用日本国内被災者支援充当すべきではないか、との倫理的な葛藤抱えつつ、2011年4月11日前野モーリタニアの地に上陸することとなったモーリタニア渡航から3か月後、ミドルネームの「ウルド」(Ould) をモーリタニア国立サバクトビバッタ防除センターババ所長から授かり以降論文発表などでは「前野ウルド浩太郎」(英語論文ではMaeno, K.O.) のクレジット使用するうになるババサムライの国・日本から来た前野のことを「モーリタニアン・サムライだ」と評し、「○○の子孫」の意味持ちモーリタニアでは最高の敬意払われるウルドの名を授けたであった前野モーリタニア渡航前感じてたように先進国研究者多くアフリカ来訪しないのが世界研究実態であり、実験室内の研究基づいて論文発表する有り様に、ババも強い問題意識抱いていた。このような中、日本被災者支援後ろ髪を引かれる思い断ち切ってモーリタニア単身やってきた前野は、現地バッタ問題解決に結びつけよう研究者としての真摯な姿勢見せ、これにババ共鳴したことが「ウルド命名つながった現地渡航前前野フィールドワークについて学術的に訓練十分に積んでいたわけではなかったことから、現地バッタを見つけると自然と疑問湧いてきて、それを検証するために手法を自ら考えアプローチをとった:4。そして、ババ所長からの手厚い支援研究後押しした:1。しかしながらモーリタニア現地での研究生活一筋縄にはいかなかった。モーリタニア公用語アラビア語であり、また実務ではフランス語多用されているが、前野フランス語不得意覚える気もなかったことから、日常生活始まり野外観察チームの編成現地での論文プレゼンテーションに至るまで、言語の壁にぶつかる。 さらに追い打ちをかけたのが、2011年後半発生したモーリタニア建国 (1960年) 以来の大干ばつである:2。この大干ばつは、サバクトビバッタエサとなる植物の生育にも影響与えサバクトビバッタがほぼ見つからない日々続いた:2:5。一般的にモーリタニア7月から8月雨季で、短期集中型大雨降らす9月から10月休耕期であり、11月が最も農期適している。しかし雨季降水不足により、家畜ヤギにとってのエサである植物のが育たなかったことから、根まで食べつくし、砂漠化拍車かかった前年2010年幸いにも大雨の年であったことから、前野渡航した2011年4月頃までは例年以上に植物残っており、小規模ながらもサバクトビバッタ野外調査を行うことができた。しかし来る干ばつ予想していなかったことから、野生サバクトビバッタ捕獲し研究所飼育しておらず、研究材料乏し状況追い込まれた。この間サバクトビバッタ懸賞金設定して現地の子供たちに捕獲協力仰いでみたり、身近にいるゴミムシダマシ研究対象変えてみたりと、論文執筆ネタ探し苦闘するまた、東海大学出版会若手研究者を執筆者条件とした〈フィールドの生物学シリーズ企画前野持ち込んだことから、後に出版される孤独なバッタ群れるとき』執筆時間充てることとなった最終的にモーリタニアでの初年度野外調査これ以上困難と判断し前野世界有数バッタ研究知られているフランス農業開発研究国際協力センター英語版フランス語版) (Centre de coopération internationale en recherche agronomique pour le développement、略称: CIRAD) に招かれて、2012年4月から9月にかけてフランスで過ごすこととなった。同センター研究員統計学を得意とするシリル・ピウ (Cyril Piou) が過去モーリタニア国立サバクトビバッタ防除センター訪れて以来前野遠隔ピウ共同研究進めていた縁もあり、この渡仏実現したであった以降前野ピウ共著論文複数発表している。 フランスからモーリタニア戻った2012年9月 (雨季経て徐々にサバクトビバッタ出現し始め時期) 以降サバクトビバッタ野外生態調査精力的に行っていくことになる。サバクトビバッタ生息域である砂漠では、昼夜寒暖差が摂氏30程度もある。バッタ変温動物であり、冬場早朝摂氏5度付近まで下がるため、動きの鈍るサバクトビバッタ天敵からどのように身を守っているのか、また飛来後どこに着陸するのかなどを調査した。これは防除策を考案するにあたりサバクトビバッタ弱点習性生物学的に把握する必要があったためである。前野連日砂漠野営しながら、そして地雷地帯注意深く避けながら、サバクトビバッタ隠れ植物の場所などを昼夜比較調査していった:3。 初めサバクトビバッタ大群目撃したのは、2012年12月頃から開始した野外調査タイミングであり、その様子を前野は「黒いのように不気味に蛇行しながら移動していた」と描写している。あまりの大群圧倒され今までバッタ問題解決意気込み無知ゆえの無謀さだったと気づく。と同時に誰もが手をこまねいているサバクトビバッタ防除への使命感人一倍強く胸に秘めることとなった日本学術振興会からの助成期間である2年2013年4月上旬満了迎えた。しかし前野就職活動しきもの積極的に行っておらず、アフリカ滞在延長して好きなサバクトビバッタ野外研究継続するか、日本戻って別の昆虫対象研究機関から給与をもらう安定した生活を選ぶか、決断迫られた。幸いにも日本国立研究開発法人国際農林水産業研究センター (JIRCAS) が国際共同研究人材育成推進支援事業 (農林水産省からの委託事業) の一環で、発展途上国農林水産問題取り組む国際組織である国際農業研究協議グループ (CGIAR) に若手研究者を派遣するプログラム運営しており、これに前野2年連続合格したことから、年間200万円研究費支援を受けることとなった。受入先はババ所長のいるモーリタニア国立サバクトビバッタ防除センターがその役目継続した金銭的に余裕がない中、JIRCAS-CGIARからの支援野外調査アシスタント雇用費に充て食費貯金から捻出して前野現地調査続けていった。

※この「アフリカ現地調査へ」の解説は、「前野ウルド浩太郎」の解説の一部です。
「アフリカ現地調査へ」を含む「前野ウルド浩太郎」の記事については、「前野ウルド浩太郎」の概要を参照ください。

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