「キリスト磔刑」
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「キリスト磔刑と最後の審判」の記事における「「キリスト磔刑」」の解説
「キリスト磔刑」のパネルは、キリストの受難のエピソードを三層に配して描き出した構成となっている。上部3分の1が、エルサレムの町並みを背景に描かれたキリスト磔刑、下部3分の2がゴルゴタの丘に集う群衆、そしてキリストの弟子と近親者たちである。エルサレムの街を囲む城壁の外には岩窟の墓所と庭園が見える。1世紀にゴルゴタの丘はエルサレムの処刑場として使用されており、「石だらけで寒々とした、生者の気配がない」場所として描かれている。荒涼とした雰囲気は、キリストの処刑をより間近で見物しようとしてひしめきあう群衆によってさらに強調されている。『新約聖書』では、キリストの弟子たちや近親者、そして告発者や様々な見物人が磔刑に処せられるキリストのためにゴルゴタの丘に集ったことを記している。ファン・エイクが描いたこの「キリストの磔刑」では、弟子たちや近親者が画面前景に、告発者や見物人がユダヤ人の大祭司やエルサレム神殿の長老たちとともに画面中景に描かれている。 画面下部の中央には、三名の女性に囲まれて嘆き悲しむ五名の人物が描かれている。青色のローブを着用しているのが聖母マリアで、赤色のローブを着用してマリアを支えているのは洗礼者ヨハネである。悲しみのあまり失神したマリア (en:Swoon of the Virgin) が画面前景に配され、美術史家ジェフリー・チップス・スミスは「作品の鑑賞者と近い場所」にマリアが描かれているとしている。顔のほとんどを青色のローブで覆い隠されたマリアは地面に崩れ落ち、その腕を洗礼者ヨハネが支えている。ヨハネの横には、白で縁どりされた緑色のローブをまとうマグダラのマリアがひざまずいている。マグダラのマリアの両腕は高く掲げられ、固く組まれた両手が心中の苦悶を表現している。画面下部に描かれた五名の人物の中で、マグダラのマリアだけが磔刑に処せられたキリストを見つめており、鑑賞者の視線を画面下から上へと移動させる役割の一端を担っている。画面前景左端で鑑賞者に背を向けてキリストを見つめる女性と、右端でマリアたちを見つめる女性は古代の巫女シビュラで、エリュトレイアの巫女 (en:Erythraean Sibyl) とクマエの巫女 (en:Cumaean Sibyl) だと考えられている。伝統的なキリスト教義では、この二人はローマ帝国によるキリスト教迫害とキリストの処刑、復活を預言したシビュラとして知られている。クマエの巫女は、キリストの死を嘆き悲しむ人々とはまったく異なった表情を浮かべているように見える。この表情は自身の預言が的中したことへの満足感と、嘆き悲しんでいるほかの女性に対する深い同情心との両方を表現したものだと解釈されている。 画面中部にはキリストの磔刑を見物に来た群衆が描かれ、群衆と画面下部の嘆き悲しむ人々との間には二人のローマ軍兵士が配されている。赤いターバンを巻いた男の肩に寄りかかる、槍を肩に担ぐ兵士の腰には画面下部で嘆き悲しむ人々の姿が反射して映り込んだ金属製の盾が吊られている。ジェフリー・チップス・スミスは、この盾が嘆き悲しむ人々と見物に来た群衆とを、精神的、肉体的に隔てる効果を持っていると指摘している。また、美術史家アダム・ラブダは、嘆き悲しむ人々と画面中部の群衆との間に全身像で描かれたこの二人の兵士が、マグダラのマリアと同じく、鑑賞者の視線を画面の上へと移動させる役割を果たしているとしている。 美術史家ブライソン・バローズは、ファン・エイクが「キリスト磔刑」のパネルで、画面中部のキリストの苦難を見物に来た群衆の野卑な冷淡さを特に重視して表現しているとする。ローマ帝国の兵士、司法官をはじめ、様々な階層の人々が群衆として描かれている。群衆の多くが豪奢で色鮮やかな、東洋風と北方ヨーロッパ風が混交した衣服を着用し、なかには馬に騎乗しているものもいる。罵詈雑言を投げつけあからさまに嘲笑する者、あくびをしながら「ありふれた」処刑を見上げている者、内輪で雑談をしている者などが群衆に描かれている。唯一の例外と言えるのが画面最右部のフレームぎりぎりに描かれている、武装して白馬に騎乗したローマ軍の百人隊長である。大きく両腕を広げたこの百人隊長は頭をのけぞらせてキリストを見上げ、「キリストが天からの光に照らし出された瞬間」にキリストの聖性に気付いている。1432年ごろにファン・エイク兄弟が描いた『ヘントの祭壇画』にも、この百人隊長とよく似たキリストの先兵と有徳の司法官が描かれている。美術史家ティル=ホルガー・ボルヘルト (en:Till-Holger Borchert) は、このような後ろ向きに描かれた人物像が「横向きの人物よりも、はるかに躍動的な印象」を与え、鑑賞者の視線を上へと向けてキリスト磔刑図へ移動させていると指摘している。 ファン・エイクは「キリスト磔刑」のパネルで十字架を現実では考えられない高い位置に描き、画面上部3分の1の大部分を占めさせている。キリストの顔は鑑賞者に正対し、同時に処刑された二人の罪人は角度をつけてキリストの左右に描かれている。キリストが釘で十字架に固定されているのに対し、この二人の罪人はロープで十字架に縛り付けられている。キリストから見て右横に描かれているのは『ルカによる福音書』にも記されている「改悛した罪人」で、すでに息を引き取った様子が描かれている。左横には「改悛せざる罪人」が苦痛に身をよじる瀕死の状態で描かれている。美術史家ジェームズ・ウィールは「どれほどもがいても苦痛からは抜け出すことができない」さまが描かれているとしている。どちらの罪人の手もうっ血して黒く変色している。そしてキリストの頭上には、ユダヤ属州総督ピラトあるいはローマ軍兵士が用意した、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と書かれた銘版が掲げられている。 「キリスト磔刑」のパネルには、キリストが息を引き取った瞬間が描かれており、伝統的な表現では両横の罪人が脚を折られた後にキリストが死去するが、この作品では罪人の脚は折られていない。キリストは薄い腰布以外は何も身に着けておらず、陰毛も描写されている。両手と両足は釘で十字架に打ちつけられ、足の傷から流れ出た血が十字架の基部まで滴り落ちている。。両腕は上半身の重みで限界まで張りつめ、激しい苦痛の中で死を迎えたために顎がゆるんで垂れ、口が開いて歯が見えている。画面中部の柱基部左側に、毛皮のふち飾りがついた帽子と緑色のチュニックを着用し、白馬に騎乗するロンギヌスが描かれている。ロンギヌスは従者の手を借りて キリストの脇に槍を突き刺しており、その刺し傷からは血が噴き出している。群衆の陰に隠れてほとんど見えないが、ロンギヌスの右側には、葦の先につけた酸っぱい葡萄酒を含ませた海綿を高くかかげるステファトン (en:Stephaton) も描かれている。 初期フランドル派に分類される最初期の画家たちは、絵画作品の背景に描く風景の描写をあまり重視してはいなかった。ルネサンス初期のイタリア人画家たちによる絵画からの強い影響で、初期フランドル派の作品に風景が描かれることもあったが、作品の構成上は重要な要素ではなく、写実表現とは程遠い筆致ではるかな遠景として描かれることがほとんどだった。しかしながらこの「キリスト磔刑」のパネルでは、15世紀の北方絵画としては異例なまでに、エルサレムの町並み全景とその背後の山並みが背景に描き込まれている。「最後の審判」のパネルにもまたがって広がる画面最上部の空は濃青色に彩られ、ところどころに積雲が見える。同じような雲が『ヘントの祭壇画』にも描かれており、背景の空に躍動感と奥行きを与える役割を果たしている。「キリスト磔刑」のパネルがキリストが息を引き取った瞬間を描いた作品であることを踏まえて、福音書の記述どおりに空が暗くなろうとしているように見える。画面最上部の遠景にはかすかな巻雲が描かれ、画面左上部に投げかけられた陰がその上の太陽の存在を示唆している。
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