『イコノロジア』以外からの寓意
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/11 21:46 UTC 版)
「信仰の寓意」の記事における「『イコノロジア』以外からの寓意」の解説
『イコノロジア』には、『信仰の寓意』に描かれているキリスト磔刑像、キリスト磔刑画、ガラスの球体に関する直接の言及は存在しない。その他にフェルメールが『イコノロジア』に記載されている内容から変更しているものとして、『イコノロジア』では杯を女性が持ち、書物の上に手を置いているのに対し、フェルメールはこれらを女性の隣にあるテーブルの上に描いている。メリーランド大学の研究員で、ワシントンのナショナル・ギャラリー・オブ・アートで開催されたフェルメールの展覧会でキュレータを勤めたアーサー・ウィーロックは、「『イコノロジア』には記述がない聖餐におけるさまざまなイメージの寄せ集め」としている。薄暗い背景に浮かび上がる黄金の杯と、鮮やかな金飾りが施されたパネルの前に置かれた暗色のキリスト磔刑像が、この作品では非常に目立っている。ウィーロックとメリーランド大学での教え子クイント・グレゴリーは、杯と磔刑像の背景パネルとのわずかな重なりがカトリック教義における「精神領域と肉体領域の橋渡しという聖餐の役割を象徴している」と考えている。セレナ・カントは、杯と磔刑像がカトリックのミサを意味しているとしている。 右手を胸元に置いて上方を見つめる女性のポーズは『イコノロジア』の神学の図とよく似ている。このような構図はオランダ絵画ではあまり例がなく、当時ホランドにも所蔵されていたイタリア人画家グイド・レーニの作品に見られるように、イタリア絵画でよく用いられていた構図であるため、フェルメールはイタリア絵画にも造詣が深かったと考えられている。ウィーロックは『信仰の寓意』のテーブルの上に置かれた金属の留め金がついた大きな書物は『聖書』だとしているが、メトロポリタン美術館のウェブサイトではカトリックのミサ典礼書 (en:Roman Missal) ではないかとされている。 『信仰の寓意』に描かれている寓意はカトリック教義のものだけではく、イエズス会教義からの影響を強く受けているという説がある。『イコノロジア』で言及されている『旧約聖書』のエピソードで、キリスト磔刑の予兆ともいわれる「イサクの犠牲」から、フェルメールはイサクが神に捧げた羊をキリストそのものに置き換えた形で表現しており、これはイエズス会では非常に重要な教義である。また、背景に描かれた『キリスト磔刑像』は、フランドルの画家ヤーコブ・ヨルダーンス(1593年 - 1678年)が1620年ごろに描いた『キリスト磔刑』をもとにしている。フェルメールはこの『キリスト磔刑』の模写を所蔵していたのである。フェルメールが死去したときの遺産目録に「十字架に架かるキリストを描いた大きな絵画」という記述が残されている。そのほかフェルメールの遺産目録に記されている遺品で『信仰の寓意』に描かれていると考えられているものに、台所に飾られていた「金細工が施された皮の壁掛け」と「黒檀の磔刑像」がある。 女性が見つめるガラスの球体もイエズス会からの影響だとされている。バロック美術を専門とする美術史家エディ・デ・ヨングは、フェルメールはイエズス会派のウィレム・ヘシウスが1636年に出版した寓意画集『Emblemata sacra de fide, spe, charitate』から、このガラスの球体を持ち込んだとしている。この寓意画集には魂を象徴する羽を持った少年が、十字架と太陽を反射してきらめく球体を掲げている図像が掲載されている。この図像に添えられた詩文には、世界を映し出す球体は神を信じる心と同一であると書かれている。セレナ・カントはこの球体を「人間の心の無限性の象徴である」としている。 カントは、女性が身につけている真珠の首飾りは、おそらくは処女性の古来からの象徴だとする。また、女性が身に浴びている光はこの女性が持つ内面の美しいきらめきを表現していると考えられている。さらに、美術史家ワルター・リトケは、この女性が特定の誰かを描いているのではなく、純粋な象徴であることを観る者に強く印象付ける効果を、この光がもたらしているとしている。
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